1週間ぶりに実家に電話をかけたぶどうさん。


長く電話をしなかった理由は、今週末大事なお客さんを迎えるのにあれこれ準備で気ぜわしくしているだろうことを予想してのこと。


案の定両親は慌しく掃除をしていた。

目前に迫っての大掃除は随分付け焼刃的ではあるが、荷物の多い実家のこと、さすがにやらねばという気持ちになったのだろう。


捨てられない女の親らしい。


父は掃除をしていると言いつつもかなり楽しそうで、お客さんをどこに案内するかを話した後、ほいっと母に電話を渡した。


一方母はなんだかくたびれきった様子で、張り切っている父を尻目にしぶしぶ掃除に付き合っているといった感じだった。


気持ちはわからないでもないが、高齢者の暮らす家なのだから掃除をして荷物を整理するのには大賛成だ。

ところがそれを口に出す前に母がこう言った。


「荷物は多いけど、捨てるとまた買わなきゃいけなくなるから捨てられないのよねえ。うちにあるのは要る物ばっかりだし捨てるものはないの。」


ぶどうさんは、この電話で母親に捨てろとは一言も言っていない。

言っていないのにこの言葉が出るということは、父に言われたのか、はたまたぶどうさんがことあるたびに言い過ぎていたのか。


そこでぶどうさんは、いるもんだけとっておけばいいんじゃない?と提案したものの。


さらに続けて母はこう言った。


「これでもだいぶ捨てたのよ。お母さんたちが死んでからあんたたちが困らないようにね。」


なるほど、自分が死んだら荷物の処分に子供たちが困るだろうことは予想しているらしい。

しかし次に言った台詞に耳を疑った。


「着替えはいるし、うちの中にあるものはいるもんばっかりだけど、うちは狭いしね荷物が入らないのよ」


うううーーーん、おかあさん、どうみてもぶどうさんちのアパートより断然広いし、外に倉庫もあるでしょう。

着替えって言っても毎日洗濯してるんだし、箪笥いっぱいはいらんでしょう。


・・・・・とは、もう言うつもりはなかった。

どっかできいた、捨てられない女の台詞そのまんまだっだから。


そして、なんとか捨てようと思うがどれも必要なものだし、うちは狭いからこんな惨状なのだと正当化したいらしいことがわかったから。


手放したら、もう手に入らないと思っている母。

いらないと言ったらもうもらえないと思い込んでいる母。

そして必要以上のものを抱え込んでいく母。


いつか必要かもしれないという不用品に囲まれ、荷物に囲まれて不自由な生活を強いられているなんて夢にも思わず、心はなにかに囚われ続けていきている。


死んだあとのことを気にするより、生きているときに楽しく過ごせるようにしてくれたほうがうれしいのに。

ぶどうさんのこの気持ちは今の母には届かないだろう。


とはいえこの母の姿は、とりもなおさず未来の自分の姿なのかもしれないと、母の言い訳を聞きながら反省するぶどうであった。


そして、提案した言葉、「いるものをとっておいて要らないものは捨てたら。」

これ、母に言いたいことじゃなく自分に言い聞かせなきゃいけないことだったのねとやっとわかった。


はい、これからがんばります。