家の整理をしているときにいつも気になっていたもの。
それは、はがきや切手。
最近は、というかかれこれ数十年位手紙をかかなくなった。
もともと筆まめではないが、それでも学生時代まではよく手紙やはがきを書いていた。
携帯やネットなどがなかったぶどうさんの学生時代。
今のように簡単に人に繋がる手段が少なかったため、電話か手紙が学生時代の通信手段だった。
さらに、今のように電話代は安くなかったし、長電話したときなど電話代にびっくりすることがあった。
出先では、公衆電話のカードの残高とにらめっこしながら電話をしていたのを思いだす。
そんな時代だったから、手紙を書くという行為はごく自然なもので、今ほどハードルの高いものではなかった。
それがどうだろう。
電話代が安くなり、ファックスで近況を教えあううちにメールで用事が済むようになり、手紙を書く機会はいつの間にかめっきりなくなってしまった。
今ぶどうさんちにあるのは、そんな過去の遺物。
はがきや切手だけでなく、大量の便箋や封筒も同様に眠っている。
まるで時間が止まったかのように、ひっそりと出番を待ち続けているように思われる。
きれいに保管はされていたが、今更20年以上前に買った便箋と封筒をそのまま使えるとは思えない。
便箋はメモ用紙に、封筒は何かに使うしかないだろうなと思うが、手付かずの状態が数年続いている。
はがきや切手も、使われないままの状態だ。
最近は懸賞の応募なんてしないし、毎年正月が来る度に年賀状が数枚ずつ余っていって、増えることはあってもへることはない。
十年前位に書き損じや余った年賀状で、交換できるものは切手やはがきに交換したたことがあった。
一度リセットしているとはいえ、やはりはがきは堆積してしまっている。
はがきや切手の面倒なところは、それ自身お金の価値があるのにお金にならないことにある。
不可逆反応そのものである。
どうしてもお金にしたければ、金券ショップで額面より安く売るしかない。
なんだかトホホな話である。
よって、なるべく損をしたくないならはがきや切手をそのまま使うしかない。
もしくは、一枚あたり5円払って新しいはがきを手にし、手紙を書いてその価値を十二分に発揮してもらうしかない。
ただし、切手に関しては、荷物を送るときに使えるときいたので、ぶどうさんはその時に使うつもりだ。
はがきを書く予定が全くないなら、金券ショップで損する分と交換手数料のどっちが多いかで決めるのもいいかもしれない。
一連のことが面倒なかたは、寄付という手もありますよ。
ずっと気になっていたこれらのものとのかたをつけるのと、はがきを書きたい人がいるので、ぶどうさんはこのところちょこちょこはがきを書いている。
どれくらい続くかわからないが、手持ちのはがきがなくなるまではがんばるし、なくなったら新しいはがきや絵葉書を買いに行きたいと思っている。
こういうツールは旬が一番。
はがきも切手も便箋も封筒も真新しいものを買い求め、それを使って出せるようなマダムになりたいと思う。
定期的にはがきを書くようになって、気になっているものを使かいきることでものごとの片をつけること、理想の自分に近づける行動を起こすこと、どっちも実行できているようでちょっと嬉しい。
まだまだ大量にあるはがき、絵葉書、切手に手紙セット。
だれかに喜んでもらえるようにせっせと使って、きれいさっぱりしようっと。
・・・・・・と、どこまでも「120%有効活用すること」が優先であり、「手放し、あきらめる」ことを放棄しないぶどうであった。
要するにねちこい、執着女ってことなのかしらね?