ふらふら頭で台所の吊戸棚を掃除していたぶどうさん。
実を言うと・・というか、実を言わなくてもここはカオス。
大体何が入っているかはわかっているが、結構突っ込んでいる状態の品も多く・・・・いわずもがなですなあ。
ぶどうさんちの台所の吊戸棚はシンクの上に横一列にババーンと並んでいる。
無駄な位ある。(あ、でも満杯なんだけど)
しかも規格品って訳じゃないようで、あとから継ぎ足したようなつくりになっており、扉の大きさがばらばらで、棚板が少なくいったいなんじゃこりゃ、な入れ物的空間だ。
で、使えそうなところは使って、あとはものの放り込み場所になっている。
そういうわけで、しょっちゅう開く扉と全く開かない扉があって、開かない部分には引越し以来触れられることもなく葬り去られているものもある。
ここを片付けるとなるとかなり厄介だという意識が働いていたため、見てみぬ振りをきめこんできたぶどうさん。
観念するときがやってきてしまった。
ここを片付けたり中のものの処遇を決めるのが嫌で病気になったのではないかと思うくらい、うっとうしい空間なのだ。
1つまた1つ片付けながら、でもなかなか捨てるものがない中、滅多に開けない扉をあけて、見つけてしまった。
緑の、あの箱だ。
しばらく見ないうちになぜかちょっと古びてしまったその箱には、とあるものが眠っている。
その名も「シトラスカッター パックリ」
これは何に使うかというと、グレープフルーツの果肉を簡単に取り出すためのもの。
他の柑橘類にも使えるらしいが、主にグレープフルーツ用。
ジュースを絞ることも出来るらしい。
らしい・・・って書いたってことは、そう、ご明察。
使ったのは只の一度だけしかないから。
おそらく、使ったけどイマイチで、それからずっと埃をかぶることになったのだろう。
捨てなかった理由は、きれいだったから捨てられなかったというのもあるが、いつか使うかなあというのでとっておいたのだ。
でも、そのいつかは来なかった。
来ないというより、我が家の果物事情を考えるに、活用しようがなかったのだ。
我が家では、果物は加工せず主に生で食べる。
ゼリーやジュースにするということは、まずない。
また、柑橘類を食べるときは、私はナイフを使うし夫は「ムッキーちゃん」を使いながら食べるので、基本的に剥いた果物を皿に盛る必要がない。
ゆえに、シトラスカッターは、必要ない。
じゃ、なんであるのか。
理由は簡単。
実家の母が「買ったけどやっぱりいらないから、やる」と送ってきたものだから。
貰った直後に一回使ったが、その後10年近くは使っておらず、今に至る。
もう捨てよう。箱はみすぼらしくなったし、中身はきれいだけど使わないし。
そう決めてみたものの、どうせ捨てるならもう一度使って、使い心地を確かめてみたい気もしてきた。
やめときゃいいのに器具をきれいに洗い、箱を放り出していたら、帰宅した夫がそれに目をつけた。
案の定捨てることに待ったがかかった。
・・・・やっぱりやめときゃよかったかなあ・・・・・・・・
心の中でつぶやく声が聞こえてきたが、使ってみてダメだったらおそらく捨ててもいいってことになるだろう。
なにしろ十年位出番待ちして一度も要請がなかったのだから、必要ないものであることだけは明白なのだし。
こうして、やっとこさ空いた吊戸棚の一角に再びこいつが陣取ることになった。
ただし、箱はもう捨てることにした。
こう汚いと、捨ててもいいような気がしたし、箱があるとかなりかさばるからだ。
現在グレープフルーツはないが、週末にでも買いに行こう。
捨てるかもしれない器具のために買いに行くのもなんだかなあと思うのだが、気が済んだら気持ちよくさよならできそうな気がする。
別れの儀式ってやつかな。
もし使えそうだったら、今度はグレープフルーツのゼリーでも作ってみよう。
そういうわけで、遅々として捨てモノがすすまない相変わらずのぶどうであった。