ずっと以前からすごく気になる言葉がある。

聞いていると、ムズムズする言葉。


聞くだけじゃなく、パソコン画面や本、会話の中にそこかしこ出てくる言葉なので、油断しているとつい目が、耳が拾ってしまう。


その言葉とは「やさしい味」


味に限らず、昨今なんでもかんでも「やさしい」と形容されるのも気にかかる。

「やさしい」といえば、当たり障りがないからか、敵をつくらないからか。


ぶどうさん、根拠も理由も、面識も殆ど無いのに「やさしい人ね」などと言われた日には鳥肌が立ってしまう。

お付き合いが無く、人となりもわからないうちにそんな言葉をたやすく言うなんて、下手に出ているつもりなのか下心があるのか、ちょっと穿った目でみてしまう。


・・・・ぶどうさん、ただの疑い深い女?


世の中平和に、人とぶつかり合うことなく過ごすために、人当たりを良くしたり表現を柔らかくすることは大変いいことだと思う。

でもそれを「やさしい」だけですませようなんて、ただの怠慢ではないだろうか。



話は戻って「やさしい味」について。


やさしい味ってなんだろう。


グルメ番組でお約束のようにレポーターが発したり、レシピの紹介文などで書かれていることが多いのだが、実際に何を指しているのだろう。


想像するに「滋味溢れる味」「ホッとする味」「体に染み渡る感じ」「厭味のない味」「素材の味」「素朴な味」「凹凸の無い味」「特徴の無い味」「微妙な味」「遠まわしにまずい」・・・とまあこんなところだろうか。


複数の要素が組み合わさっていて一口にはいえないからか、時間や字数の制限が加わっているせいなのか、それとも視聴者や読者の想像力を膨らますためなのか。


的確な表現として「やさしい味」が採用され、それで済まされてしまう。


なんだかなあ、さびしいなあ。


言葉なんていろんな意味を含んでいて、一言で表す言葉があれば便利だし、言葉そのものや用法も時代が下るにつれちょっとずつ変っていくものなんだろうが。


聞いていて不自然で、気持ち悪く感じてしまう。


ぶどうさんの世代より上の人なら、少なくともそう感じているのではないだろうか。


「やさしい味」というものがメディアによってか市民権を得ている昨今。

もう認めなきゃいけないんだろうか。


でもやっぱり、ぶどうさんは言わないぞ。

四十路女の日本語力や表現力をこれ以上衰えさせないためにも、がんばろう!


え?オバサンのあがき?

そうかもしれないねえ。