休日のお昼時。


お休みの日の定番メニュー、パンにサラダを目の前にして夫がポソリとこういった。


「この頃大根が多いね」


ピクッ(・_・;)


そうよね・・・サラダに大根の千切りは確かに変よね・・・(ぶどうさんの心の声)


やっぱりな夫の指摘に顔を引きつりつつ、ぶどうさんは平然と言ってのけた。


「だってこの頃寒くなってサラダ野菜が少なくなったし、第一野菜が高いから。」


単純な夫は


「なーんだ、そういう理由かあ」と納得し黙々と食べることに専念。


あーよかった、この人が夫で(オイオイ)


思えば地震のとき、食べ物が手に入るか不安があって、大根のサラダをよく作った。

食べられるもんは何でも食べようと決めたあのときから、ぶどうさんは常識なんて捨てたのさ。


あのときの大根は、時期ハズレの少々トウのたった、全然みずみずしくない大根だった。

それに比べれば今の大根はなんとおいしいのだろう。


大根の皮もキャベツの芯もにんじんの皮も、捨てて無駄にしたりごみを出さないように工夫したあの時。

人間あれくらいがちょうどいいのかもしれない。


半年を経て、食料も、雑貨も、ガソリンや燃料もお店にあり、そしてごみ収集車も予定通りに来る。

これが当たり前といえば当たり前なのだが、しかし果たしてその通りなのかというと疑問が残る。


危ういバランスの上に成り立った社会は、もろく崩れやすく、未来は混沌として見えない。

盤石な社会というものが歴史上ありえたのかというと、それもまた怪しい限り。


ならば、われわれが少しずつでも足元を固めていくことが必要なのではないだろうか。

たとえ足元をすくわれるようなことがあっても、また一からはじめる勇気と根気を持って社会を育てていく心意気、それを忘れないでもち続けていたい。


などと、たかだか大根ごときでグダグダと御託を並べるぶどうであった。



・・・・・・なんでもいいけど、大根を食べるならせめて料理にしようねー