どこまでが自分の責任でどこからが他人の領分でありあずかり知らぬことなのか。
何事も自分の責任だと自責の念に駆られるのは立派だが、それでは生きていくのが大変だ。
いつも他人のせいにするのなら、ある意味生きるのは簡単かもしれないが、周りには誰もいず誰の心もよりそってはいないだろう。
第一責任を取らないで自分の足で生きていることになるのだろうか。
ここは私の責任でそれはあなたが決めることであり負うことなのよと、誰かとしめし合わせて決めることはできない。
できないが、感じることは出来る。
そのためには、きちんと線引きをすること、心得ておくことが大事。
人生は選択の連続だ。
どれを選ぶか自分で決め、選んだからには努力しその道を邁進し、得られた結果に責任を負う。
その姿勢をとることが心得でもある。
自他の負うべき事柄に線引きすることは、他人のことには責任はないということではなく、互いに自立した人生を可能にすることであり互いを尊重することだ。
馴れ合いではなく互いを尊重し敬うことができれば、世の中はもっとよくなるのではないだろうか。
子育ても、人育ても、自分育ても、根底には自立の精神が目的である。
自立した人たちからなる家庭、地域となれば、自ずと国は成熟していく。
一人ひとり、自分に責任をもち、互いに自立し国を盛り立てていこう。
成熟した国を作り上げることは世界の、地球の一員として立派にその役割を果たすことでもある。
日本に生まれた日本人として今なすべきことは何か。
その答えのひとつが「自立」であり、そのためには「責任を負う」という意識を持つことなのではないだろうか。
今日本には、日本を動かしている人たちには「責任」という文字が頭にあるのだろうか。
そんな人間に未来を任せていいのだろうか。
これは批判ではなく問いかけだ。
もし否と思うなら、行動しよう。
日々の小さな、身の回りのことでもいいから是非とも思うことを実行しよう。
自分の足で人生を生きるために。