食器棚を片付けることにしたぶどうさん。


食器って、好きか嫌いか、使いやすいか使いにくいか、飽きたか飽きてないか・・・結構はっきりしているものである。


断捨離的には、「自分をもてなす」のなら、好きなものを使い、残りは処分なのかと思うのだけど、壊れてもいないものを捨てるのは捨てづらい。


特に、食器はそう。


食器って壊れていればすんなり捨てられるけど、使える&壊れてないものを捨てるのが気持ちの上で難しい。

惜しいというよりは「壊れてないもんを不燃物に出してゴメンナサイ」な気分になって捨てにくい。


もう充分使っているのに、だよ?

罪悪感というよりは、地球にごめんって感じで。

あまり使ってないと、なおさら。


あまり使ってない食器は、しかし要らないものだろう。

未来はわからないけど、過去~現在は要らなかったもの。

引越しのたびに持ち歩いてきたが、まだまだ引越しは続くだろうし、もし必要になったらその時に必要なもしくは大好きなものを買えばいいのだ。


(↑自分に言い聞かせるぶどうさん)


一方、充分使っている食器は、というと。

使うのに便利、でも飽きた、くたびれた、というものがある。

最たるものがディナー皿。


このディナー皿、そんなに安物って訳じゃない。

30年以上前のノリタケの木箱入りのそろいの皿で、食器の色や肌が好きで実家からもらってきたもの。

ただし、柄は好きじゃない。


ディナー皿だからと、あまり考えずにお肉料理や一皿料理によく使っていた。

そのせいで、ナイフの後が残っている。

他の食器にナイフの後がつくのが嫌で、いつうしかナイフを使うときはこれを使うようになった。


食器の大きさ、肌や色は好きだが、時とともに金ははげ、柄がかなり古臭く心浮き立つものではない。

便利な一皿使いとして、またナイフ用のお皿としてのみ機能しているだけの皿。


しかし妙なことにこの皿は割れない。

きっと捨てなきゃ最後の最後まで食器棚に残るだろう。


その他にも「電子レンジにかけて割れても惜しくない小皿」が何枚かある。

数が多かったので気に入らない柄のものは捨てたが、気に入った柄は残していて、小皿として、レンジ用として使っている。

便利だし、残り物を入れたりするのにもいい。


こういうのも処分しにくい。


レンジ用の皿を買えばいいのだろうけど、何にでも使えるこの皿の方が優秀極まりないような気がするのでついつい使って処分は先延ばしにしてしまう。

いや、ほんとに捨てるべきなのかどうかもぶどうさんにはわからない。


でも小皿ってたくさんある。

なぜか無駄に一杯ある。

柄違いだったり、そろいのものだったりするのでどれかを処分しないと多分すっきりはしないだろう。


悩むところである。

おそらく件の皿は一番安物だから捨てやすいという理由で標的になっているんだろうが、無駄なものは他にもあるのだろうな。

使っていない、使えていない、数が多すぎるものが。


使いたいものを使い、使いたくないものは処分するのが一番なんだろうけど、なんでこう「便利」だとか「壊れても構わないから使いやすい」とかいう理由で、気に入らないものを取っておくんだろう、使うんだろう。


根っこはケチなんだろう。


でもなんに対してケチなんだろうね。


こうツラツラと書いて突き詰めていくと、お金じゃなくて自分にケチってことに突然気がついた!


自分で自分にケチるなんて・・・相当ケチじゃない?!


地球に悪いなんていいながら、自分にケチっているだけだった。


人生一度きりだもんね。

身勝手とは違う意味で、自由に生きなきゃもったいないかも。


好きなものに囲まれて好きなものを大切に使って生きていくようになるために、どうするか。

決めるのは自分、実行するのも自分、後悔するのも納得するのも自分ってことだよね。

だれも他人の人生の責任を取ることはできないし、自分の人生の責任を引き受けるのみ。


そうか、そうしよう。


やっと重い腰を上げられそうな結論に至ったぶどうであった。