恒例の夏の行事に参加するため、東京へ向かったぶどうさん。


この旅自体を浪費か、消費か、投資かと聞かれれば、多分浪費でしかない。

なぜなら、行事自体は有益であるものの、先への投資となるかというと、かなりハテナマーク。


そういうわけで、激安!のパック旅行を手配しておのぼりさんを決行した。

激安といっても、日にちが確定したのが遅かったので早割りはきかず。

なんとか一番安い=時間の条件が悪いものをやっとこさ予約したという感じ。


でもまあいいさ、交通費に毛が生えたくらいでホテルに泊まれるんだからパック旅行はありがたい。


行事に時間を取られるので、東京でうろうろ出来る時間は限られている。

限られた時間の中で楽しむために、予め予定を組むことにした。

ぶどうさんにしては珍しいことである。


うろうろするといっても会場へのアクセスのよい場所にホテルを取ったので、ホテルの場所が行動範囲の中心となる。


殆どなじみのない場所、東京。

行った回数は両手の指で数えるより少ない。


田舎で生まれ田舎で育ちずっと田舎で暮らしていたぶどうさん。

東京に強い憧れはない。


都会が嫌いとか、魅力がないというわけじゃないが、基本的に関西より西にしかすんだことがないので縁がないし、どうにもピンと来ない街なのだ。


憧れはないが、でも東京に住んでみたいと思ったことはあった。

その理由は、東京にはいろんな機会が溢れていると思ったからだ。

芸術、伝統芸能、セミナーや勉強会、習い事、ショッピング・・・ありとあらゆるものに触れるチャンスが転がっていると思っていた。


そう思う理由は、ぶどうさんが田舎暮らしだったから。今もそうだけど。

不自由だったり、悔しい思いをしたりしたのは、田舎にいるからだと思っていたのだ。


半分真実だが、半分は自分の行動力のなさのせいであって、決して田舎に住んでいることでチャンスがないというわけじゃないことをなかなか認められなかったのである。


いつもは行動予定など立てないぶどうさんであるが、今回は数年前に買った!(とほほ)ガイドブックをなめるように眺め、何を見たいか、何を食べたいか、何を買いたいかを決めていった。


決めながらふと、なんだか妙な気分になってきた。


東京って、最新のものや人、技術が世界中から日本中から集まってきている街だと改めて思うと同時に、寄せ集めの町であるということに気づいたのだ。

勿論東京独自のものもあるだろうけど。


しかも各地から集めたものたちは、東京にあることによってお金が上乗せしてかかる。

こんなものにこんな金額出したいかな?こんなもん買いたいかな?というものがガイドブックに堂々と載せてある。

東京の?それとも東京に住む人の?不思議。


華やかさの理由とは、お金?

お金さえあれば楽しめる街でしかないように感じられたのだ。


それに気づいた途端、落胆したような、魅力が一気に失せたような、東京という街の幻想が消えていく気がした。

そして、なぜ人は東京を目指すのか、なぜ東京にいるのだろうかという疑問が湧き出してきた。


一体東京に住むことはあるのか、暮らすことはあるのか全くわからないが、この街と縁を結ぶときが来るのか暮らしてみたいのか、確認したい気持ちになったのである。


果たしてぶどうのおのぼりさん、一体これからどうなるのだろう。