ぶどうさんは本が好き。これ、前回も言ったけど。


本は他人のものとか自分のものとかあまり関係なく、一応大事にする。


一応、というのには訳があって、自分の本は勿論大事。

でも図書館やら公共のものは、なんともいえないというのが正直なところ。


誤解なきよう言っておくが、図書館や公共のものだからずさんに扱っているわけじゃない。

図書館で本を借りられるなんてありがたいことだし、図書館の本はみんなのもの。

自分のもの以上に丁重に丁寧に扱わなければならない。


小さい頃習ったよね!


小学生のときは図書を借りるときに母お手製の厚紙で作ったブックカバーを持参し、汚れた手で触らない、書き込まない、汚さない、なくさない、期日までにきっちり返すように言われていた。


その言いつけは今も守っている。


それはそうなんだけど、図書館の本を借りるたびに複雑な気持ちになる。


よく借りられている本とそうでない本は一目瞭然、見た目だけじゃなくページの古び方が全然違う。

よく借りられているということは、本にとってはいいことなんだろうけど、本のつくりが悪いのか扱いが荒いのか、本がぼろぼろだ。


さらに、書き込み(線引き)、耳おり、ページの上からの書き写し(鉛筆のあとが残っている)、シール、破れ、汚れなどなど、一体どうして?!といいたくなるような状態の本がある。


とくにびっくりするのが、レシピ本。


食べ物の後なのか、それともその本を見ながら料理やお菓子を作ったのか。

チョコレートのあとだったり、なにかのシミだったりが残ったものがある。


一体何を考えているのだろう。

みんなのものだから大切にしないと!というのはある。

道徳の問題、とでもいおうか。


しかし問題はそれにとどまらない。

一体他人がどんな環境でどんな手で触ったかもわからない図書館や公共施設の本なのだ。

それを繰りながら、食べ物を食べたり調理したりするというその神経には驚いてしまう。


そう、みんなが使うから丁寧に扱わなきゃいけない。これ常識。

勿論きれいに使わなきゃ。それも当たり前。

それでもその本が衛生面で考えてきれいかどうかは全く不明ゆえ、扱いは慎重にしなきゃならないはずなのだ。


だからぶどうさんは、汚い手で本を読まないし、図書館の本を読んだ後は手を洗う。

また、自分ちのテーブルにそのままは置かない。

必ず紙を敷いてからその上に置く。

父はいちいち広告で即席のブックカバーをつくっていた。

本を汚さないためと自宅を汚さないためだ。それが面倒なので、ぶどうさんは紙を敷くことにした。


本をただで2週間も貸してくれる図書館の本はありがたい。

でも何冊か本を借りるたびに、人のモラルにがっかりすることがある。


結局自分のものじゃないと大事にしないのか、自分のものでも大事にしないのか、そこのところはわからないがせめて公共のものだという意識をもって、自分のものと同じ位大事にしようよといいたくなる。


また、公共の本を見ながら料理を作るのは。。。やめたほうが良いんじゃないかと思う。老婆心だけど。

本にも、本人にもおすすめできない。


本は、ただの紙に情報が印刷されたもの。

それを利用するのが人。


本に価値があるのではなく、利用する人にとって価値があるだけで、そうでない人には何の役にも立たないもの。

ただのかみきれ。


それを大事にしようなんてばかげているのかもしれない。

大事にする意味をきちんとわかっているひとにとっては、本はいろんな意味を持つものなのだろう。


本好きのぶどうさん、やっぱり本は大事にしたい。

自分の他人の関係なく。

自分の本は自分のために、他人の本はみんなのために。


もう少し人生の駒をすすめたら、要らない本が出てきて手放せるようになるのかもしれないが、急ぐことはない。

今のところは集めた本を後生大事に抱えて、愛でておこうと決めたぶどうであった。


やっぱりミニ本棚いるよねえ。(まだ言うか!)