ぶどうさんは本好き。
本が好きなのだ。
好きなジャンルは・・・・ということではない。ただ、本が好きなの。
でも闇雲に本だけが好きなのじゃない。
本の内容は大事。基本的には「暮らし」に関する本が好き。
小説は読まない。エッセイも読まない。歴史ものも殆ど読まない。
そういう訳で本を買うなら、暮らしに関する本ばかりを買ってしまう。
要するに暮らしが好きなんだね。
買った本は、というと、ぶどうさんとしては厳選して買ったつもりだから手放さない。
よってたまる一方。
さっさと売ればお金になるんだろうけど、ぶどうさんは結構しつこい。
暮らしに関する本、特に料理やお菓子は思い出した頃にブームがやってきて、そのたびに繰り返し眺めるので手放すことなどできない。
いわゆる執着である。
世間で出版される本は日々進化し、購入した本の内容は日々古び陳腐化するのが常。
新しいものがでればそれに興味がわき、理由をつけては購入するぶどうさん。
繰り返し眺めるのだから、古いとか新しいとか関係ないと思っているのだ。
それに暮らしに関することは、あまり古びるってことはないのだけど。
家やインテリア収納方法や捨てモノ系は確かに古びる感は否めない。
レシピに関しても、昔の料理やお菓子のレシピでびっくりするような配合や材料があることも認めよう。
しかしぶどうさんの場合、よっぽどのものじゃない限り、古い本の中にぶどうさんなりの価値を見るのである。
そう、よっぽどのものじゃない限り・・・
この、よっぽどのものって、なにかというと、雑誌からの特集で、誰が著者かわからないような、無責任といえば無責任系のもの。
こういうものは後で見るとアチャー!な感じで、買ったときは高かったのに今は二束三文にもならないようなもの。
決して古本屋では買い取ってくれないだろうし、図書館だってお断りされそうな代物で、古紙回収にしかだせないだろうが、みためきれいなだけになんだか悔しい。
捨てる踏ん切りがつかず、ぶどうさんちの押入れで堆積していくのだ。
。。。結局捨てられないのね。
これってどういう心情なのだろう。
本は情報、知識、知恵なのだから捨てられないのだろうか。
それとも、まだモノにしていないから、充分元を取ってないから・・という、本代に対するけちな気持ちなのだろうか。
本はたまる、邪魔になる。
でもみたい、読みたい、試したいその気持ちのほうが強い。
捨てれば楽だな、と思うものの、そうできないのはなぜだろう。
欲。
これに尽きるのかもしれない。
本を持つ所有欲、本によって得られた知識によって他人より優位にありたい自己顕示欲といったところか。
欲を嫌悪して本を捨てるのか、欲を認めて本を持っておくのか。
どちらにせよ「なぜ」がわからない限りは、もしくはなにごとかの突破口がない限りは問題は解決しないだろう。
とりあえずは断捨離はやめたんだから、現物はぶどうさんちにそのままあり続けるだけのこと。
同じことを繰り返したくないし、訪れるかもしれないブレークスルーを待つのも悪くない。
今のところは「本が好き、本の内容が好きというよりは暮らしが好き」だからよりよい暮らし、生き方、行きかたのための指南書として取っておく、ということにしよう。
そうはいっても、もう本棚が一杯だ。
床に積んでいる本を何とかせねば。
・・・・・もう1棹本棚買うか?!(←おいおい)