近頃とみに忙しいぶどうさん。


なにか新しいことを始めたかというと、そうではない。

趣味に没頭しているかというと、そうでもない。

勉強にいそしんでいるかというと、それはない(おい)


先週から弁当生活を始めたおかげで、一日3食考えて作ることになったわけだが、それが多忙の原因だ。


そう、「食べることに忙しい」のだ(T_T)


正確に言えば「食べることに関して忙しい」のだが、ひっくるめてこういってみた。


人間3食ちゃんと食べようと思うと、かなり忙しい。


朝にご飯食べて6時間後には昼食べてさらに7時間後には夕食を食べる。

3回分のメニューを考え、作る。


食べ物を口に入れる時間帯が13時間。

その前に用意し、その時間帯の後に後片付けをする。

食材を調達する時間などは考慮してないが、結構な家事労働時間になる。


とにかく、食べるのに忙しい。

何で忙しいのかわからない。


段取りが悪いから?イエス。

献立を決めるのに時間がかかるから?イエス。

どうせ作るならまあまあおいしいものを作りたいからと、調べる時間がかかるから?イエス。


要するに、要領の問題、なのだろうが。


ぶどうさんのように食に全力投球しなくても、食事を用意するということは時間がかかる。

食べるのはあっという間だが、用意のためには食材調達、献立きめ、作る、後片付けの4点セットにはかなりの時間が必要だ。(え?必要ない?)


人間は一日24時間という枠の中で生きることになっている。

人生の長さは残念ながら人によって違うけど、きまった24時間をどのような密度で生きるかということは本人次第。

スカスカにして楽~に生きるか、詰め詰めの濃い時間をぶっ続けで走り続けるかは、やる気と体力の問題であって誰に強制されるものでもない。


人生の時間を何に使うか、それはそれぞれが決めればいいこと。

そのためにどの部分を削るか、比重を軽くするかそしてどこを重視するかを決めなければならない。


体は1つ、時間は一応きまっている。だから全部はできない。

選択は自由、変更も自由。


意識的に無意識に何かを選び、捨て続けることでその人らしさ、その人の人生というべきものが出来上がり、肉体をまとった形の中に結果としてでてくるのだろう。


1つだけ、頭に入れておかなければいけないのは、選んだことで、捨てたことで、負う責任と結果は引き受けなければならない。

良きにつけ、悪しきにつけ。


食事を簡単にすることは出来る。

要領だけじゃく違う手段をとって、簡単にすればいいだけ。

食にばかり時間をかければ、ほかのことに注ぐ興味やエネルギーの時間は当然減る。


減ったからといって焦ってはいない。

焦ってはいないが、一日の大半を占める食に関係する行動が何のためにあるのか、考えるようになった。


そして達した結論は。


食は人生そのもの、体そのもの・・・では、決してないとわかった。


人間は食べるために生きているわけじゃない。

生きるために食べている。食べて・・・なにがしかの実現を図っている。

食べたものは体になるが、目的は食じゃなく、なにかの現実化。


食は1つの行動であり存在するための根源的なものではあるけど、人間であるからにはその先がある。


食は本能そのものであり、快楽であるといった人もいるが。


果たしてただそれだけ?なのだろうか。

ぶどうさんが思うに、本能ではあるが、そして快楽の人もいるだろうが、今の時代にとっては娯楽であり修行であるといえるんじゃなかろうかと。


見かけ上豊かといわれる現代において、食は選択可能なものだ。

食だけにこだわっている人は、おそらくそれが娯楽なのだと思う(ええ、ぶどうさんですとも)。



また、食欲ほどコントロールのきかないものはない。

どういうものを選ぶか、選択し続けるかやめるか、どれ位で欲求をなだめるかを調整し続けていかねばならない。



簡単便利なものを取り続けて早々に体を壊すか、おいしいと思うものをおなか一杯食べ続けて肥満になるか。

食に手間をかけて時間をかけて努力しながら人生の時間を長くよきものにするか、体に悪影響なものを減らして腹八分で健康で動きやすい体でいるか。



なんでも自由だよ、という人生は選択自由、結局どう生きようが各人の自由意志によるもので、結果がいいから悪いからとだれも恨むことはできないのだ。



そういう意味では、節度を保つということにそれぞれがどこかの時点で気がつかねばならないのであり、誰もが必ずぶつかる食という問題はみんなに出された修行課題みたいなものといえる。



食べることに忙しい。



それが良いか悪いかわからない。


他のことをする時間を犠牲にしているのだから、もっと違う方向に進めることが出来るはずの人生の時間を無駄にしているのかもしれない。



今はそれでいい。

それがぶどうさんの選択。


もっと大事な、もっと好きなことが現れたら、そのときはちょっとだけ食べることの時間を減らせば良いかな。

それまでは、未来においてよりよい時間を過ごすために、健康な体を用意しておこう。



食は、大事。


食は、すくなくともぶどうさんにとっては娯楽。


そして食は修行。



そんな感じで、家族と自分のためにがんばっていこうっと♪


めざせ!元気な100歳。