一つ一つ丁寧なお料理をしようと方向性を決めたぶどうさん。
ぶどうさんに足りないものとは何なのだろう。
それは、ずばり。
「基本」だ。
ぶどうさんには、料理の礎となる「基本」が全くない。
料理の常識、とでもいうのだろうか。それがない。
誰かに教えてもらったとか、料理教室に通ったとか、理屈や理論を覚えたたとか、そういうのが全くないのだ。
ぶどうさんの料理の経験は、母親の手伝いと一人暮らしのときに本を見て適当に覚えた料理くらいしかない。
家庭科の調理実習は中学までしかなく、大したものを作った記憶はない。
そのくせ料理の番組や本は好きなものだけ熱心に見ており、ちぐはぐでばらばらな知識しかない。
何より問題は、普遍的な味がどういうものか全くわからないのだ。
この料理はこの味が王道だ!というものが、ぶどうさんの中にはない。
ぶどうさんはあまり外食をしない家に育った。
母親が常に料理を作り、惣菜などが並ぶことはなかった。
だから常に食べるのが母親の味であり、それが普通であり基準でありおいしかったなあと思うが、それが他の家と、世間とどれくらい同じなのか違うのかがさっぱりわからない。
・・・もしかして、味覚貧乏、味音痴?T0T
家庭の味付けは、それこそ家によって違う。
味付けには各人好みの傾向があり、育った家の味が一番おいしいという。
ところが厳密に家庭の味を量って記録して子供に伝える家は少ない。
というより日によって味はばらばらなのが家庭料理かもしれないが。
けれど、肉じゃがには肉じゃがの、うどんつゆにはうどんつゆのレシピがあり、味の配合はだいたい決まっている。
うどんつゆ味の肉じゃがはない。
それをおかあさん方はちゃんと意識して使い分けている。
無意識にでも「この味」、というのが各人差はあれ決まっているということだ。
また惣菜として、お店の料理として、お弁当として、決まった味付けのおかずが作られ、売られている。
味付けは、店の人の好みであったり、地域にあわせたものであったりするが、とにかくちゃんとその味になっている。
不味ければ店も商品もなりたたず、売れないだけである。
そういう意味では、いつも売られている惣菜やお店の料理はストライクゾーンにある、ということだ。
「ストライクゾーン」がどこにあるのかを知っていて、その広さがひろければお料理上手ということになるに違いない。
そう理解したぶどうさん、すぐにお惣菜を買ってきた・・・というわけではない。
おもむろに本棚に向かった。
料理教室に通うでなく、まずは本を見ながら一からお料理を始めようという気持ちになったのだ。
料理教室を選ばなかった理由は、日常の基本のおかずではなく配合や材料が応用的なものが多く、家でも作ろうという気になるメニューじゃなさそうだったから。
実を言うと、他人が作ったものですごくおいしいと思ったことは・・・失礼なことにぶどうさんにはない。
とくに単発だったり〇〇教室のサイドメニューとして出されたものは、よほど考えられたもの以外口にあったことがない。
そういう意味では、売られている惣菜や弁当もそうだけど・・・・・
料理本で失敗しても後日やり直しがきくし、自分でしか調理しないのだから途中で調整もきく。
元手は本の値段位、しかも持っている本だから眠っていたものを活用できただけマシということになる。
ひとくちに本といってもいろいろある。
手元にあるだけなのだから大したものはないが、それでも味付け基本系から、お袋の味系、伝統料理系、創作料理系。
その中から無名、人気料理研究家かかわらず味付け基本形とお袋の味系を選び参考にすることにした。
なぜなら創作料理系に走ってしまうと、新しいおいしさが基準となってしまって基本が全然わからなくなりそうだから。
そういう本に載っているお料理は、きんぴらごぼうだったり胡麻和えだったりかぼちゃの煮物だったり。
誰にでもでき、テキトーでも形になる、そんなものから毎日一品ずつ本を参考にしながら作ることにした。
ささやかな試みを盛り込んだ、ちいさな「ぶどうのごはんやさん」がひっそりと始まった。
いやはや、料理修行はこれからですわ。