専業主婦になって十年をとうに超えているぶどうさん。


毎日毎日、それだけの年数を主婦として費やしてきているのだから、仕事はプロ級だ。

・・・・・とはいい難い。


主婦の仕事は多岐に渡るし、まじめにやろうとすればとてもじゃないが一日24時間では足りないから、などと言い訳するつもりはない。


そもそも主婦の仕事って、掃除や洗濯、料理の後片付けのように原状回復のための作業と、もろもろの家庭生活の維持管理が半分で、あと半分を料理が占める。

意外に単純だ。(この際冠婚葬祭や家を買うなどの人生一大イベントの類に割く時間は除いておく)


料理の占める割合が多いのは、回数が多いから。

一日3回、ぶどうさんの場合は弁当を作っていないから正確に言うと一日2回。

そのなかには材料の用意のための買い物と、料理を純粋に作る作業が含まれている。


買い物自体は毎日しないにしても、とにかく食べるためには作るか買うか、なにかしらしないといけない。

なんたって生きていかなきゃいけないから。


食べなくても生きられるという人がいるらしいが、私は凡人ゆえ食べないと生きてはいけない。

食べないということは人生の時間を節約できるし、お金も節約できるし、ちょっと想像するにわるくないんだろうけど。

この無駄極まりない「食べる行為」が私の生きる楽しみでもあるので、食べることを否定する気持ちはない。


そんなぶどうさんは、常々不思議に思うことがある。

もう何十年と夫と二人で暮らしてきて、大きな病気をせずちゃんと生きて来られているのはどうしてだろうということ。

ぶどうさんのやっつけ仕事の食事でもちゃんと二人生きてこられたというのが、なんともはや人生七不思議のひとつである。

一応生きるだけの最低限のものは取り入れているのだろう。


だが、そんなあやふやなことでいいのだろうか。


私はプロである。

専業主婦という主婦業を、長年夫に任され仕事としているのだ。

・・・と胸を張っていいたいけど今はコソコソと宣言する。


その仕事の半分を占める料理をおろそかにしていいはずはない。

そして、毎日2回も作るチャンスを与えられているにもかかわらず、怠惰という呪わしい病によってみすみす逃していいわけがない。


そう、チャンスなのだ。

それも、ラッキーチャンスなのだ。


なぜにラッキーチャンスかというと、このチャンスは決して偶然もたらされたものではなく恩恵に満ちたものだから、と思えるから。


作る機会を与えられていること。

食べてもらう、食べる予定のある人がいること。

作る場があり、器具があり、使う食材があり出番を待っていること。

モノを形にし完成形に作り上げる喜びを与えられていること。

新しいレシピや調理法にチャレンジする、もしくは練習の機会が与えられていること。


つらつら並べてみただけでも、いろんなことが提供されたからこそ、ぶどうさんはその場に立っていられるのだ。


これらの恩恵を無視し、無意識に切り捨てていたことで、今のプロになりそこなったぶどうさんがいるといっていい。

はたして、専業主婦の仕事の柱の一つである「料理を作ること」が毎日のルーチン、惰性の家事という位置づけのままでいいのだろうか。


自分よ、いつまでもシロウトで居たいのか。

いやいや、胸を張って主婦ですと言えるようになりたいのだ。


もっと本音を言うと、お料理がすごくおいしいと、夫だけでなく誰からも言われるようになりたいのだ。

・・・・?


ただの見栄だけど。はっはっは。


それくらいの見栄を張ってもいいのではなかろうか。

いや、主婦という仕事をしています、と胸を張っていうためにはそれ位にならねばならんだろう。


意気込みが大事だ!


そう考えたぶどうは、齢にして四十路をとうに越えたまさに今から、己の見栄のために料理を一から始めようと心に誓うのであった。