人生の交通整理中のぶどうさん。
生き方だけでなく、勿論モノの交通整理にも励んでいる。
・・・・つもりなのだが、全然片付かない。
3件片付けの法則を思い出しては適用するものの、処分せずに移動するだけ、ということが続く。
使ってないもの、着ていない服、賞味期限の切れた情報。
きれいさっぱり捨てればいいものの、おもいきれず、取り出しては又元に戻すの繰り返し。
なんで捨てられないんだろう。
捨てたら困るから?
そのモノの価値を使い切ってないから?
罰が当たるから?
・・・・・・・それとも宇宙を信頼してないから?
多分最後の理由が一番なのだろうと思うのだが、それだけではないようだ。
なぜ捨てられない?
自問自答するものの、答えは出ない。
ああ、きれいさっぱりしてすごしたい!
モノの山、しかも殆どガラクタに埋もれながら、叫ぶぶどう。
これら大量のモノを引越しのたびに梱包し、荷を解いて、この先何年もつれて回るのかと思うとうんざりする。
うん?まてよ。
まるで、モノと自分の間にコードが繋がっているよう。
このコードを断ち切ればいいのかも。
けれどコードを断ち切ったところで、どこで繋がってしまっているのかわからなければ結局繰り返すだけ。
思うにモノと繋がっているのは、ほとんどが不安な気持ち。
モノを捨てると困るから不安という単純な問題ではなさそう。
どんな時に捨てられるか、どんなときに捨てられないか改めて考えてみると、お役ごめんになったものは容赦なく捨てるがまだ使えそうなものは捨てられないというのが浮かび上がってきた。
まだ使える。
これ、捨てられない女の魔法の文句。
そして、罪悪感を引き起こす魔の呪文。
使えるのに捨てるなんて!
でもねえ、使ってないのよ、使えないのよ、アナタ自身が。
手放そうよ。手放したら手持ち無沙汰になるんじゃなくて両手が空くんだよ。
モノにくるまれて守られているんじゃなくて、モノの洪水の中でおぼれかけてるんだよ。
ああ、そうだった。
守られているどころか、危険にさらされているじゃないか。
どっちがより不安なのかよく考えてみようよ。
そうそう、そうだった。
モノを持つと手いれが必要だし、常に処分に頭を痛めて同じところをぐるぐる回って時間を無駄にしている。
結局お金だけじゃなくて人生の無駄遣いだったんだ。
捨てられないって悩むのこそ、あほらしいことだったのね。
それに、モノに自分を投影するのもやめなきゃね。
モノを捨てたら自分も捨てられるんじゃないかって不安がどこかにあったのかも。
とどのつまり、捨てられない気持ちを捨てられないだけだったのかも?
そう気づいたら、手放すことをちょっとだけ肯定できそうな気がしてきた。
さあ、ぶどうさん、体重だけでなくモノも手放すときがやってきたかも。
引越し目指してがんばるぞ!
今日の浜田省吾さん
いつかもうすぐ
ええ、いつか、もうすぐですよ。できれば3ヶ月でおねがいします。
(誰に言っているのよ?)