他人は自分の鑑。


そう思えば、うなずけるところが大いにある。


この頃気になること。

それは、親切心で提案したり言ったことに対して、考えも試しもしないのに四の五の言って始めからやる気のない人がいる。

じゃあ、人に聞くな。


そういう人には二度と提案しない。

いい案があっても教えない。


言っても考える気もやる気もないんだから、言い訳させるだけ無駄だし。


思えばこういう失敗が多かった。

怒りを買うだけ馬鹿らしい。


親切心って、私にとって仇であり罠であると思い知らされること多し。


親切の方向が間違っているのだろうか。

いや、多分私を含む人間すべて怠惰なところがあって、どうにかしようと思いつつその状態が実は好きで先にすすむのが面倒くさいのだろう。


そして、他人が鑑なら私にもそういうところがあるんだろう。


よって、答えを求めたときに親切心でいってくれる人の言葉には耳を傾け、実践できそうなことならやってみる。

もし誰かにあれこれ言われるのが嫌なら、まず人に聞かないということにした。


けれどいつも不思議に思うのだな。


他人に心をかけてもらえるからこそいろいろと教わることができるのに、それをありがたいと思わない人が多いこと(まあ、他人の人格によるといえばよるけど)


何にも言われなくなったら終わりだということに気がつかない人が多いこと。


都合のいいときだけ助けを求め、結局文句を並べるだけの人。


思いやりをかけた相手への感謝を知らないらしい。

もったいないね、損しているって気がつかないなんて。

私はとことんまでいって見限ったら、もう何にも言わない。

そこまで人間ができていないし、親切でもないからだ。


相手の望むものが私が良いと思って与えるものではないということでもあるし、余計なお世話でしかないしね。



だから、もういわない、金輪際。


親切心って、結局は自己満足でしかないってことなんだろう。


難しいね。