毎週歯科通いを余儀なくされているぶどうさん。


今度選んだ歯科は待ち時間が長い。

さらに、治療時間も長い。

午前中丸々潰れたなんてこともしょっちゅう。

なんとかしてくれ、といいたくなるが、近いし仕事は悪くはなさそうなので仕方なく通っている。


長い待ち時間にすることはといえば、待合室で週刊誌か新聞を読むしかない。

ぶどうさんは新聞を信頼していないので読まないし、週刊誌もつまらないので読まないのだが、することがないので利用することにしている。


数種類あったなかから、an・anを選び、さら~~っと通して読んでみた。

実は、これを見るのは2回目。

先週も待合室のラックにあり、目を通していたため、読むところがなさそう。

それでも時間を潰すものがないので、一応丁寧にページを繰ってみた。


最後の最後に、もう読むところがないと閉じかけたとき、林真理子さんのエッセイの掲載に気がついた。

ぶどうさん、全然林さんのファンじゃない。

小説がすきでないので、小説も読んだことがない。

よって、林さんのことは「年を取ってから自分磨きをしている人」という認識しかない。


年齢を重ねて美しさを保つこと、さらに磨きをかけることはマダム道にかなっている。

ぶどうさんの先を歩く人生の先輩の林さんががんばって女を磨いているということにおいては、彼女の作品に興味はなくとも女として見倣うところがあるな、と思う。


そのエッセイのタイトルは、うろ覚えながら「終わりのない恋」というものだったような・・まあそんな感じだ。


かいつまんで言うと、林さんには茶飲み友達というか素敵な彼がいて、ちょくちょくご一緒する(密会とかいてあった)のだけど、林さんは人妻。

この素敵な彼と男女の仲というわけではないが、一つの恋とよんでいる。

そして「終わりのない恋」と称し、楽しんでらっしゃるようだ。

林さんの恋にも、林さんの楽しみにも興味はないが、それを読みながら、ふとあることを思いたった。


久しぶりに見た浜田省吾さんのDVDにすっかりのめりこみ、舞い上がったぶどうさんのことを。

ぶどうさんの浜田省吾さんを見つめる熱い視線、そして絶え間なく彼の声を聞きたいこの衝動は。


これは・・・・である!(そこ、笑わないように!)


それも、林さんと同じ終わりのない恋。

といいたいところだが、終わりどころか始まりもない恋かもしれない。

恋に始まりがない?始まりがあったから恋になったのだと思われようが、説明するとこういうことだ。


相手が存在を知らなくても恋は始まるし、見つめるだけの恋がないことはない。

でも殆どはお互い知り合う機会があって、相手のことを知って恋に発展するんではないだろうか。


ところが、だ。

ぶどうさんの場合は、浜田省吾さんの音楽を愛するただの一主婦。

存在さえ知られていないし、存在が知られることもない。

まず知り合うことはないし、継続的にあうことは天と地がひっくり返ってもない。


林真理子さんの恋を「終わりのない恋」というなら、ぶどうさんの場合「始まりのない恋」といっていいだろう。

そして、この恋は別の名前に置き換えると「ファン心理」と言うものになるのかもしれない。


これまでアイドルに夢中になったことも、追っかけをしたこともなかったが、彼女らの心理が垣間見えたような気がした。

年甲斐もなくアイドルに夢中になる人がいるが、なるほど、皆恋に恋しているのかと、なんだかほほえましく思えてしまう。


主婦だって恋していいのだ。

それも飛びっきりぶっとんだ、妄想といわれても仕方ないほどの、高嶺の花の恋。

だって。始まりも終わりもないんだもん。


始まりと終わりがあったら困るじゃない。

苦労をともにして一緒に年を取ってきた、愛する夫が一番だからドキドキ



今日の浜田省吾さん。


君と歩いた道


youtubeで捜してみてね。