今日は新月。


現代は太陽暦ゆえ、月のサイクルには関心が薄い。


人間の体は月のサイクルと密接に関係しているらしいが、私自身なにがどうと意識したことはない。

満月だから~とか新月だから~とか、固定観念や巷の情報に意識を囚われないようにしている。


そうはいうものの、新月に必ず行っていることがある。

それは、新月の願い。


一部の人には、ああといまさら、という話になるだろう。

耳慣れない方は「新月の願い」というキーワードで検索すると、沢山ヒットするので詳しいことはそちらで。

気が向いた時にでもどうぞ。


この新月の願いに対して、頭から信じている人もいるようだが、かなり懐疑的な人が多い。


私も文字通りにとれば、怪しいと思う。

少なくとも、願えば成就するということはない。


一時期はやった引き寄せの法則もだが、新月の願いも怪しさ満載だ。

怪しさ、といったら、かなり否定的に捉えていると思われるだろうが、そうではない。


人間は意識しても無意識でも、必ず何かを引き寄せ、願いを叶えながら生きているというのではないかと言うの説にはうなずけるものがある。

その願いが望む望まないに関わらず。


またなにかを引き寄せたいと思いながらも、実は反対の思いがあって阻んだり、反対の思いを引き寄せてしまったりというのもあるのではないだろうか。


私は自分というものがよくわからない。

今が自分らしいのか、自分らしいと勘違いしているのか、もう私自身になっているのか。


もう私自身になっているのなら問題はなにもないのだろうが、少なくともどうしたい、こうしたいと思ううちはまだ納得できていないのだろう。


まだまだ自分の思いを阻むもの、なりたい自分になることを拒否しているものが何なのかはわからないし、具体的に理想があるかというと漠然としていてつかみどころがない。


そういうわけで、私は自分を見つめるため、いやなにより心からの自分の願いがなんなのかを意識に上らせる手段として、新月の願いを実行するようになったのだ。


よって、私にとっての新月の願いは、心を聴く時間である。

抽象的に、具体的に、自分の人生像を描く時間でもある。


毎月(月に2回ある場合いも稀にある)新月の時間を過ぎてから10個の願いを書きながら、今そして未来、私がどうありたいかを考え、決める時間でもある。


人間は矛盾だらけだ。


その矛盾を無意識下でことごとく冷徹に成就し紆余曲折しながら生きるよりは、絡まった糸をほぐすように矛盾をなくし生き易くするほうが、よりよく生きられるというものではないだろうか。


その一方法として、私は新月の願いを実行している。


願いが叶ったか・・・・というと、いくつか妙な結果で成就したのは本当だ。

しかしまだまだ叶っていないものはあるし、なぜか叶わないのかを考えるきっかけにもなってそれはそれで面白い。


そのとき、ではない願いを書いても叶わないだろうし、全体のタイミングが合わなければそれもまた致し方ないのだろう。


一月に一度の自分を見つめなおす時間として、活用されてはいかがでしょうか。


ボイドタイムに気をつけて。


本日22時37分~翌4時51分(各説あり)の時間帯を避けて、今からどうぞ~