ルーチンワークの実行を第一の目標にしたぶどうさん。
衣食住、すべてをきちんとする・・・のは、スーパー主婦でも難しいのでそこらへんはおおらかに構えることにした。
最初からそれでいいんかい?と突っ込みはなしで。
その代わり、魔窟発掘で紹介したように、3件片付けの法則を掃除洗濯料理などの通常の家事にも適用することにした。
魔窟の場合は特定のカテゴリーで向き合うことが必要だが、通常家事の場合は気がついたときに、気がついた場所で、3件処理するという決まりに。
たとえば台の上におきっぱなしで処理に困っている空き瓶(捨てたくない)をどうにかし、見た目汚れているボトルを洗い、台にこびりついた汚れを落とし、で3件。
なるべく3件なのだが、2件でも構わないことにした。その代わり時間を1分とか、3分に制限する。
とにかくやる、ということが大事なのだ。
もう見て見ぬ振りはできなくなってしまった。
3件片付けの法則の癖がついてくれば、ルーチンワークを補助する一つとなるだろう。
これで、実行する下地はできた。
・・・・でも、なんか足りない。
何かが足りない。これで完璧とはいえない。
苦手な、気の重い、時間のかかる仕事が、これでする気になるのだろうか。
いや、3件片付けの法則では片付かない問題がある。
やる気にさせる何か、もしくはやろうと前向きにする何かが必要ではないか。
衣、食、住、の作業それぞれ簡単に洗濯、料理、掃除と割り振った場合、毎日行う料理にもっとも時間を割いており、私にとって一番気重な作業だ。
考えてみれば、衣食住、全自動化されていないものといえば食の部分だ。
外食や買食、レトルト類などもあるけれど、食事を用意する、片付けるという部分に時間とエネルギーが、いや私の人生がつぎ込まれている。
そしてその食の部分が健康の鍵のひとつであり、人生の実りを決めるパーツであることに異論を唱える人のほうが少ないだろう。
その食の部分のやる気をどうするか。
毎日の食事は、ルーチンワークであり、おざなりでも気合を入れても「食べられればそれで一仕事済む」ともいえる。
どうとでもなる部分。
おざなりにすれば、私の人生は違うものに振り向けることもできるし、気合を入れ続ければ私の人生の時間は限られてくる。
私はどちらも嫌だ。
おざなりな食事は心を蝕むし、贅沢な食事は体を蝕む。
気の重い、時間のかかる作業ではあるが、私と愛する夫(きゃっ)にとって、食は大事な仕事だ。
食を疎かにすれば人生の質が落ちることは明らかだ。
私はふと自由になった食生活に心を引き戻し、その自由が食材の制約だけでなく心の制約を解き放ったことに気がついた。
そうだ、食事の支度をする時間を、「お楽しみの時間」にしよう。
やってみたかった料理、使ってみたかった食材、気になる調理法を試す、お楽しみの時間に決めよう。
料理だけではない、掃除や洗濯の中にもどこかに「お楽しみ」を見つけよう。
そうして、ルーチンワークの中に義務的な3件片付けの法則と、お楽しみの時間を両方設けることにしたぶどうであった。
つづく