イ〇ンが出した葬儀費用やお布施の値段の明示。

ニュースに取り上げられたのは今月入ってからだったと思うが、朝の一報でそのニュースはすぐさま消えた。


なにかの陰謀にでもあったのだろうかと頭をひねっていたが、今日ネットニュースで再び取り上げられていた。


やはり賛否両論あったらしい。


歓迎しているのは消費者のほうが多く、反対しているのは僧侶側のほうが多いようだ。


なかには、ちゃんと先祖供養しているならいくら包むかわかるはずだという檀家さんや、包むのはいくら以下というお寺さんもあるようだが。


私は、値段の明示は思い切ったことをしたなと驚くと同時に、こちら側としてはありがたいと感じた。

一体いくら包むのかわからなければ、葬儀のときに困るではないか。


それにいくら必要か大体わかっていれば、用意もできるというもの。

結婚式はしなくてもいいが、葬式は必ず一度は人生で経験するものだし。



・・・・というか、人間必ず死ぬんだし(爆)


自分の葬式は基本的にはしないつもりだ。

一応死亡診断書つけて火葬場で焼いてもらって墓はつくらずさようなら~~と決めている。

子供がいない夫婦なので、何か残しても仕方ないのだ。


しかし両親の葬式は普通にせねばならないだろうな、と思う。

両親が嫌だといっても、兄弟がするといえば普通にすることになるだろうし。


そのとき戒名とか、そんな問題もでてくるだろう。


戒名に段階があって、それに応じた布施の相場があること自体ばかげていると常々思っているが、世の人はそれほど抵抗がないらしい。


生きた人間がつけた、お金で買った「格」や「称号」をぶら下げてあの世に行くなんてナンセンスだ。

そう感じるので、私は戒名などはつけない。

死んだら今の名前もこの世でつけた戒名も要らないから。


この世的に必要ならそれもよし、しかし死んだ人のレベルを勝手にこっちで決めるなんて変なのではないか??

結局はこの世の人たちのの都合、なのだ。

宗教的なことはわからないし、こういったことをわかりたいとも思わない。


布施が宗教的な行為だという人もいるらしいが、さっぱりわからない。

お金で信心の深さをはかるのだろうか。


もちろん、お布施をして供養をという気持ちは尊いし、そうしたいならそうしていいと思う。

どうお金を使おうとそれは各人の生き方なのだし、だれかに強制されておらずその意思があるなら、存分になさったらいいと思う。


それは自由なのだ。


恐らくお布施の多寡であの世の行き先なんて決まらないだろう。

あの世の落ち着き先は、この世での行いや生き様、に答えがあるのだろうし。


私は戒名など要らないし、葬儀費用は明確であればあるほど、自分を葬る時に残しておくお金がはっきりしていいと思うだけだ。


なにより、思い残すことのないように生きようと思う。


お坊さんにお経を上げてもらわなくてもあの世にちゃんといけるよう、日々きちんと生きることのほうがもっともっと大事なのだ。


夏に幽霊話などがよくでるが。

お坊さんがお経を上げても、お葬式をしても、幽霊がいるって変じゃないか?


そう思うと、やっぱり葬式もお経も戒名もいいや・・・と考えてしまう。


生きていれば必ず死ぬ。

自分の弔いの時はかならずくる。


葬儀や戒名の有無や墓の有無など問題でなく、それまでにどう真剣に生きるのか、これにつきる。


お布施の値段、これは一体何の値段なのか、死ぬまでには答えが出ているといいな、と思うぶどうであった。