体力の衰えと、物忘れの激しくなった母親。
ただでさえ整理整頓ができず管理能力がない上、物忘れが激しいとあっては放ってはおけなくなった。
このままでは実家がゴミ屋敷と化し家庭内事故がおきる危険性さえ感じるので、やんわりと家を片付けるように電話で促してみた。
「うちにいらんもんはないし、いついるようになるかわからないから捨てられん。強いて言えば、お父さんの読まない本は一杯ある」
そう言い放った母の言葉は、まさしく捨てられない、管理できない女の常套句で、想像したとおりの答が返ってきたことで開いた口がふさがらなかった。
思えば、私の管理能力のなさは母譲りだ。
始末ができない、と言ったらいいだろうか。
最近やっと自分なりの管理の仕方やものとの付き合い方を身に着けようとしている。
普通の人ならば子供のころにちゃんと身につけていることが、私はできていなかった。
本を読み、失敗を繰り返し、試行錯誤紆余曲折しながら自分なりにやってきた。
整理整頓、物事の始末、たったこれだけのことに実に40年以上かかっていることになる。
まったく人生の無駄遣いだ。
今まで気がつかなかったのだが、母はちょっと病的ともいえる管理能力のなさだ。
本人の名誉のために言うが、決して他の能力は低くないし、趣味は多いし器用で何でも上手にこなすことができる。
学校もでているし、女学校まででているのだから決して馬鹿ではないのだ。
それなのに80年生きてきて、一度も人生の交通整理をしようとしていないとあっては天晴れともいえるのだが。
引越しのない人生、そして子供の側で暮らす人生を諦めたことで死ぬのもここで、と諦めているのか。
死んだらあとは誰かがやってくれるだろうと思っているのだろうか。
理由は定かでないが、明らかにものへの執着と人生への信頼がないことは確かだ。
とっ散らかった環境だからとっ散らかった頭の中であることも。
これから物忘れがひどくなり、さらにものが増えていくことも恐ろしい。
そして物が増えた中で暮らしていつか事故が起こり、それが元で痴ほうになり介護が必要となったときがもっとも悲惨だ。
なにしろ、皆サラリーマン。定年退職するまで子供のだれも田舎に帰れないのだから。
そのとき両親100歳前後。
まず生きていないだろう。
悲劇が起こるとすれば、その前になる。だれも身動きできない。
とにかく、この手強いがちがち頭をなんとか柔らかくするのが先決。
はあ、しかし、他人(父)のものはゴミと言い切るとは、当たっているとはいえ、先がおもいやられる。