実家に電話をしてみたら。

母が電話にでた。


父は留守という。

なんでも、墓の権利金を払いに行ったとか。


そういえば父は随分若い頃から墓の権利を手にいれ、毎年いくばくかのお金を払っていたことを思い出した。


墓のことが出たついでに、母に家の片づけをするようにやんわりと言ってみた。


老人の怪我の原因は、家内事故がとても多い。

勝手知ったる・・が、とんだことになる場合が多々あるということだろう。


あれほど散かった家だと行く末が心配だし、健康や精神状態に悪い。

なにより、私が近くに住んでいるわけではないので、なにかあってもおいそれと手伝いに行くことはできない。


片付けはかなり重労働だ。

年をとってからでは、体力が無くなり片付ける意欲も無くなる。

そうなる前に、と思うばかりに、つい言ってしまったのだが。


「大丈夫、なんとかなるよ。取り越し苦労だよ」


母は取り合う様子がまるでなく、暖簾に腕押し状態だったので、私は力なく受話器を置くことにした。


確かに私は心配性ではある。

わからない未来に抜かりなく網を張ろうとすることも事実だ。


もっというと、いろんな事態を想定して布石をし自分にとって一番いい未来を作ろうとしているのかもしれない。

自己防衛、ということだろうか。


馬鹿を承知で言えば、誰にとってもハッピーな道を用意したいだけなのかもしれない。


そんな道などあるはずないといわれればそれまでだが、早いうちに手を回し、なんらかの手段を講じていればうまくいくことが増えるのではないかと信じているのだ。


今考えられること。


それはひとつだけ。

子供のだれもが定年を迎えるまで身動きできないなら、いつでも身軽に動けるように両親が用意していてくれるよう促すこと。


結婚の遅かった両親の末っ子である私が60歳を迎える頃、両親は100歳になってしまう。

それまで田舎で二人で待っていて、というほうが非現実的だ。 


老親をそのまま遠い田舎に残して置いてよいのか、兄弟のだれかが同居するのか、両親のどちらかが亡くなった時どうするか、両親が亡くなった後誰もいなくなった実家をどうするか。


そういったことも含め、とにかく選択肢を増やすため両親も動くことを念頭にいれ、まずは身軽になっていただくしかない。


しかし、取り越し苦労という受け止め方では話がすすまない。

80歳近くともまだまだ若い、若いつもり、なのであろうか。


まだまだ自立して現役で暮らす自信と捉えるとして。

怪我無く元気に暮らしていただくため、あの手この手で片づけをしつこく言い続けるとするか。


しかし・・・私の戦略不足は否めない(`・ω・´)