捨てることへの抵抗。
それが信頼の欠如と罪悪感によるものであることを、心の底をみるまで気づかぬ振りをしつつげていた。
それはまた、お金を払いさえすれば何がしかを手にすることは当然であるという謙虚さの欠如と、それらを生かすことの出来なかった失敗を認められないという傲慢さでもあった。
私に関しては上記の理由によるが、手放せない、捨てられない、使い切れない、そういったことは人によってそれぞれに要因が異なる。
怖くて見てみぬ振りをし続けているのであれば、まずは捨て作業をしながら「どうしてこれを手放せないのか」、そっと心に聞いてみることをお勧めする。
その理由を知っているのは、だれでもない、あなたの心で、理由さえ分かればどうしたらいいかは氾濫した情報の中から選択して対処するだけなのだ。
私は捨てや収納の専門家でも、心理学者でも、現在流行の断捨離アンでもない。
手放す作業をとつとつとしながら、「なぜ」の部分を難しく考える必要など無く、こうなった理由を心に聞いてその対処の選択をし続ければいいだけだと気がついたのだ。
まま、小難しいことは抜きにして。
なんにせよ、今の生活にアップアップしているのなら、とにかくどこかでリセットしなければならない。
リセットは早いほうがいい。
なぜなら、時間を置けば置くほどリセットが大変な作業になってしまうからだ。
私は流行の言葉でいうならば、アラフォー世代。
人生折り返し。
まだまだ借家の引越し人生は続く。
終の棲家を見つけるのは、いつのことかわからない。
いや、見つけたとしてもそこに定住できるときがいつになるのか、全く検討もつかないのだ。
度重なるであろう引越しは簡単に済ませたいし、もし家を購入するにしても「無駄に広い家を手に入れて無駄に税金やメンテ費用をかけることはない」と、むしろ借家住まいのうちに気がついてラッキーであった。
一方実家のほうは。
戦前世代の両親が家を購入後一度も引っ越すことなく30年以上おなじ家に住み続けている。
二人しか住人がいない4DKの一軒やは、荷物が山ほどあり、ほとんどカオスだ。
年をとり足腰が弱ってきているのに足元には荷物があり、家内事故につながりかねない。
片付ける意思は殆ど無く、せっかく広い家があるのに狭い場所で寝起きする始末。
今後どうするのか・・・かなり不安が募る。
まずは私が手本となって、すっきりした家に住むことが如何に気持ちのよいことか是非我が家で体感してもらうべくただいま奮闘中だ。
これでやる気をだしてくれたらいんだけど・・・・一世一代の博打となるのだろうか∑(-x-;)