「日本人」が単一民族であるっていうのはそもそもおかしい。
理由があって、あるいは目的があって、家族単位で、部族単位で
あるいは「くに」(state)という単位で、この日本列島に様々な
人種や民族が渡ってきた。

それに伴って、それぞれの民が信ずる様々な神々、様々な信仰形態、
あるいは宗教と呼ばれるものも当然に入ってきているハズである。

しかし、日本列島には2万を超える川が流れ、森は豊かだったので
それらの人々を十分受け入れて養うことができたのであろう。
...
やがて稲作が始まると少ない平地をめぐる争いも起きたであろうが、
食糧の安定供給と収量アップの先端技術を享受できる恩恵を前にして、
後から来た侵略者を受け入れざるを得なかった歴史があると思う。

日本人は無宗教といわれるが、とんでもない。
日本の地に集結したあらゆる民族とあらゆる信仰が融合し、
ひとつになった姿がここにあるのだ。

まさに「大和」の姿である。

もちろん、今なお国内に未解決の問題は山積みなのだが、世界の紛争、
あるいはくだらない宗教対立、それらを解消する鍵は実は日本にある。
だからこそ、世界を我が物にしたい連中は日本を潰したいのだ。

日本人がバカでいてくれないと困るのだ。
目覚められては困るのだ・・・。



以下引用

正統竹内文書の日本史
「超」アンダーグラウンド①より

『命の根源を探り、罪の意識と向き合って生きる』 (つづき)


布施:包丁で切ると痛がるから手でちぎるという話も聞いたことがある。

竹内:確かにそのほうがいいですよ。

布施:竹内さんも包丁で切るときには聞こえるんですね。

竹内:「いててて、痛い」というのが聞こえますから、僕は手でちぎります。

布施:手でちぎるほうがまだいいよ、と言ってくれる?

竹内:はい。

秋山:一瞬のうちにちぎるとかね、ミキサーにかけちゃうとかね。

布施:やはりかわいそうだったんだ、千切りは。と言っても、できないけど、千切りは(笑)。

秋山:でね、何だろうな・・・

竹内:この話ができてよかったですよ、秋山先生と。同じことを考えていましたね。

秋山:昔、ある自然食の運動家がね、目のあるものはどうしても食べるに忍びないから、自然食だ、菜食だという言い方しているんだけど、違うだろうと僕は思うわけです。

竹内:植物だって生き物だろ、って。

秋山:目のないヤツを千切りにするほうがひどいぜ、と言ってやりたいわけですよ(笑)。

竹内:植物だって生き物だよ、何言ってるんだ、って。

秋山:だからやはり、何かの生き物の死とともに存続している人間の生というのがあって、だからこそ、とことん感謝しなければならないという話をするんだけど、そういうことでもなくて・・・

竹内:そこまで行かなくても、ようするに我々がそれは罪深いことをしているっていうことをね・・・

布施:認識するだけでいい?

竹内:そう、だって生き物を殺して食っているわけですから、我々は。植物だって生き物です。

秋山:罪の意識から逃げないっていうことですね。

竹内:そう。

布施:それが人間だから、と。

竹内:立ち向かわないと。立ち向かって戦うという意味ではないですよ。

秋山:向き合うっていうことです。

竹内:そう、向き合う。

秋山:だから罪の意識と向き合わないといけない。罪人だと受け入れれば、傲慢になりようがない。

竹内:それが「いただきます」です。古神道のほうでは、我々は「アマツチノメグミイタダキマス」というのが本当です。「いただきます」はその省略語です。「あけましておめでとうございます」を「アケオメ」とか女子高生が言うのをみんな怒っているけど、「あけましておめでとうございます」も省略語です。「さようなら」というのも省略語です。「アケオメ」と同じですよ。「さようなら」は「左様ならば、これにておいとまいたします」の省略語が「さようなら」です。「じゃあ!」と同じです。

布施:「あけましておめでとうございます」は何の省略語ですか。

竹内:内緒です。

一同:ははは。

竹内:「いただきます」も「こんにちは」も全部省略語じゃないですか。本当はもっと長い。

  *   *   *

自然と調和する日本人の脳

 角田忠信「日本人の脳」で広く知られるように、日本人の脳の使い方は、西洋の人たちとは違う特殊な使い方をしているようです。たとえば、ヒーリングミュージックなどでも、日本では自然の音そのものが好まれると対称的に、西洋では人工的に作った音楽でないと「音」として認識されない。雑音でしかないようです。こうした現象は私の経験からも事実のようです。
 あるとき、映画『ツインピークス』のイベントの仕事でアメリカへ行き、現地で俳優さんたちとお話しする機会がありました。森についての話題になったとき、西洋では一般的に森というのは魔物が棲む、怖くて暗いイメージとして捉えられているようで、日本ではどうかと聞かれました。日本では神々が住む神秘的なものだと答えると、かなり驚かれました。

 キリスト教の影響下にある文化圏では、アニミズムの象徴たる森林は、打ち払わねばならないものとして、異教徒征服の歴史と密接な関係があるようです。香港やインドの植民地化政策では、まっ先に森の伐採をしたといいます。

 森に行くと、隠れ棲む異教徒たちに復讐される・・・そんな原体験が尾を引いているのかもしれません。

(秋山眞人氏のコラムより)