八木さやちゃんの恋愛講座、
最高だった✨
正確には恋愛講座の補講なんだけど、神回!
昨夜、「すげがったー」(津軽弁)
と思いながらお風呂に入ってたら、
ふと、謎が解けた。
私がなぜ「こぎん刺し」が好きなのかって。
こぎん刺し↓
恋愛とまったく関係ないけど、
関係あった
さやちゃんの話は本質だからね。
さやちゃんが、
女性は何者でもないところから始める
っていう話をしてくれて、
何も持っていない、
何者でもないところって、
女のホームだよなっていう体感を、
私はこぎん刺しで得ていることに気づいた。
ただの自分である、というところ。
まっさらな自分に戻るのが、
こぎん刺しなの。
さやちゃんはこうも言った。
「どうせ私なんてたいしたことないんだから、
なんでもやっちゃおう」
と。
これは自分ビジネス講座でもおっしゃってた名言なんだけど、
何者でもないから、なんでもできちゃう♡
これだよなー
これ忘れてたなー
と思った💦
私はまたもや、
何者でもない自分が、
何かしちゃダメな気がしてた。。
何者かにならなきゃ、ってなってた。
そうじゃないんだよな。
何者でもないやつのこと、
さやちゃんは「クソ民」
とおっしゃってて🤣
はい私、クソ民です🤣
クソ民だから何でも出来る‼️
何にもないってところからチカラが湧いてくる不思議よ✨
で、
こぎん刺し。
こぎん刺しは江戸時代に、
津軽の農村の女性が生み出した。
そう、
名もなき農民の女性たちが生み出したの。
これはクソ民の芸術なの(敬意を込めて)。
何をも持たない人々の芸術を
「民藝」
と柳 宗悦は言った。
ことこぎん刺しに関して言えば、
なんにもないけど、
そこには愛があった。
まだ見ぬ夫のために少女は刺し、
愛する家族のために刺し、
もちろん自分が着飾るためにも刺した。
明治期頃のこぎん刺し着物(晴れ着)
ファッションブランド「matohu」のデザイナー・堀畑裕之さんは、
こぎん刺しを「愛の手仕事」
って言ったんだけど、
めっちゃ素敵だなぁって思った
柳と言い、堀畑さんと言い、
男性がこぎんを褒めてくれるというね✨
女性はもちろんだけど。
何者でもないところから生まれたこぎん刺し。
だから私は好きなんだ
あー気づけてよかった
針を持って刺し綴っていると、
何者でもないものになる。
それが心地よくて。そこに戻りたいの。
そこが女のホーム、女の本質だったとは。
だから女って、縫うんじゃないかな。
キルトとか、あらゆる刺繍が世界中にはあって。
女たちの針と糸の芸術がね✨
刺し綴っていると、
自分に付いた肩書きとか役割とかすべて剥がれ落ちるの
解けていくの
母でもなく妻でもなく社長さんでもなく、
ただの女。
「無」
ただの自分に戻るんだよ。
そう、何も持っていない自分に。
「縫う」は女の性(さが)だったか。
だからこそ、
これだけ多くの人を魅了してるんじゃないかな。
・・・
こぎん刺しって、
愛の話だったんだ❣️
と気づいてびっくりしてる。
やばっ
いまさらながら惚れなおした
こぎん刺しに❣️
やばいやばい。
「もの」とのパートナーシップ。
世界とのパートナーシップ。
全部、つながっている。
すごくない??さやちゃんの講座。
男とは何か?女とは何か?
その本質に迫るの。
(LGBTの人たちもいるけど、
この場合の男女とは、生殖器が男性器か女性器かの違い)
ただ、女であるだけでよかったんだと気付かされる。
「ただただ、女であるだけでよかった」
わぁ素敵
恋愛講座、いまからでも受講できますよ♡
↓昨日の補講についてはこちら♡
こぎん刺しに限らず、
「ものをつくる」「何かを生み出す」って、
こういうことだったんだなって実感する。
すげぇ〜〜!!!
私の恋愛も進ませたいなぁ✨
素敵な人が現れますように。
まいこ
私のおばあちゃんが集めた
古いこぎん刺しを本にしました↓