人間の行動原理を、アンソニー・ロビンスという人が
話していたのを思い出す。
人間が行動する時、その奥底にある動機は、
・痛みから逃げるか
・快楽に向かうか
におよそ大別できる、って言っていたんだけど、
それを聞いた時、ふーん、そうなのかなあ? って思って、
それからよくそのことを考える様になったんだけど、
どーーーも、ますますしっくり来ないというか・・・・
いまだに、そうかなあ??って思うのですが。
確かに・・・夫を見ていると、
あ、そっか。今、痛みから逃げようとしてるのね?
って思う場面が結構あるし、
あーあ、自分の快楽に走ってこんなことになっちまったんだね、
と思うことがたっくさんある。
つまり、目の前の短絡的な感情や満足感に振り回されやすいから、
ついつい要らないもの買っちゃったりとか、
浮気とか、ポルノとか、不倫とか、先物取り引きとか、詐欺にあったりとか、
飲み屋のねーちゃんに入れあげたりとか、風俗通いとか、出来心とか
客引きとかにひっかかったりとか、
つまり、
あちこちに仕掛けられている社会の罠にひっかかりやすいというか、
悪意とまでは行かなくても、
自分の利益の為にいい顔してすり寄って来る奴らに弱いというか、
おだてられたらついつい、ていうか、
それって、絶対に女性じゃなくて男性の方かなあ、と思うことが本当にたくさんある。
男性社会だからね。あたりまえなんだけど。
なのに、翻弄されている自分に気づかないうえに理が立つので、
言い訳も出来る様になってる。女性から見るとミエミエだと思うことでも、
「こうだった、ってことにしとこう」
というのがきわめて多いなあ、という気がする。
しかも(痛みを伴うためなのだろうが)「ごめんなさい」、が言えない。
なぜに持ち前の良いところを負の方向に使ってしまうんだろうか。
世間の大半の男達は、こちらに翻弄されて、よけいな荷物を人生に運び入れるハメになる。
もともときっと、本当に単純なのに、もっともっと持ち前のシンプルさで
生きれば良いのになって、思う場面がたくさん有る。
昔政治家をモチーフにした津川雅彦さんが出てた映画で、
「嘘も100回ついたら本当になる」って台詞があったんだけど、
それがずっとずっと頭に残ってる。
それって「男ならではの発言だなあ」と思うからだ。
日本に原爆を落としたパイロットだった米国人男性は、
「あれは必要なことだった、絶対に必要だったんだ」って死ぬまでうわごとの様に
言い続けて亡くなったそうだ。
その裏にある、罪悪感は絶対に表に出さずに。
そしてそれを受け継いだ子供たちは、毎年毎年、その記念日が来る度に、
「あれは必要なことだった、戦争を終息させるために、必要なことだった」って、
いまだに言ってる。
罪もない、兵士でもない人たちの40万人もの命をあんな風に奪うことが
必要なことだったわけないのにね。
ここでも「そうだったことにしておこう」が働いてる。
こんな、とてつも無い間違いを犯したあとですら。
逆にね、でっかい夢を描いている男にもまたそう言うところがある気がする。
本田技研の創業者の本田宗一郎さんが、まだ町工場の「おっちゃん』だった頃から
油にまみれた作業服姿で「世界に行くぞ!」とリンゴ箱の上に立って工員達に
毎朝話してたのは有名な話だ。
その情熱に共感してこれまた本当に男達はそれを目指して、
本当に世界に行っちゃった。
これって、男性のその純粋さがとてもプラスに働いた例だとおもう。
罪悪感にさいなまれながら、嘘をつき続けるか、
夢を語り続けるか。
同じ構造のコインの表と裏。痛みか、快楽か。
まさに、(男性である)アンソニーは、男性の行動原理を言い表していたんだなあ、と
思うんだけど、これが、よく男性が言う、『男は単純なんだよ」という言葉に
つながるのだろうな・・
爬虫類脳っていうんだよね、こういうのを。こんなに技術が進化して、でも
まだ爬虫類脳を使ってるんだね・・・
で、目下、母親をやっている私が思うことは、
爬虫類脳の行動原理は、確かに私たちも持っているけど、実際のところは、
女性の方がもっともっとシビアに世界を見ているという気がするし、
かつ長期的だと感じる。
なぜなら、爬虫類脳だけを使って、「自分の」『目の前の」損得だけを考えて行動していては、
子供を守ったり家族を守ったりできないからだ。苦しい場面からそそくさと逃げて、目の前の快楽を追っている母親のいる家庭は、どんな家庭か想像に難くないのではないだろうか。
私の、母親や妻としての行動原理は以下の二つに分かれるかなと思う。
・それはやってあげたいことか。
・それはやらないと後悔することか
この二つ。
逃げるという選択は少なくとも、私には、無い。
一個一個対処して行かないと積もりに積もってしまうからだと思う。
台所の洗い物のように。
洗濯物の様に。払い終わらない請求書の様に。
今日向き合うべき子供の葛藤は、明日まで待ってはくれない。
今目の前で、熱を出してうなっている子供を、「明日対処しよう」って
ほったらかす母親がいるだろうか。
いじめにあって泣いて帰って来た子供に、「来月になったら対処しよう」って
放置する母親がいるだろうか。
特に私は、二回も死にかけている上に母親だから、とにかく
「やらないと後悔すること」に人一倍敏感だと自分で思う。
今、謝っておかないと、絶対に死ぬ間際に後悔する。と思ったら、
即座に謝れる。意地なんて物は、その瞬間に消えてなくなってしまう。
今、この子に向き合ってあげないと、後で絶対に悪い影響がある。
この子を今、抱きしめてあげないと。この瞬間、今この瞬間が鍵だ!!と思ったら、
何をしていてもすぐさま放り出して、駆け寄って抱きしめてあげる。
自分が悪かった、自分の誤解だった、言い間違いだった、と思ったら、すぐに謝れる。
後悔をしたくないから。だからその為にやれることは全部やる。
今日死ぬとしたら、これは継続するのに値することなのだろうか。いやしない。と思ったら、
もう手放せる。
自分が無いということじゃない。
人に併せて、迎合するということでもない。
そう、選択する自分がいる。やる、という選択と、やらない、という選択。
選び続ける自分が居る。
それだけ。
やってあげたいことは簡単だ。
やってあげて、喜んでくれて、嬉しい顔を見せてくれることが私はとても嬉しい。
美味しい、って言ってくれたり、楽しい、って言ってくれたり、
お願いされたことをやってあげて、喜んでくれたり、約束を守って喜んでくれたり、
そういうことだ。
でもその狭間に入るときがある。
どちらか分らなくなる時。
やってあげたいことなのか。あるいは、後悔しないためにやっておこう、と思うことなのか。
ここに入るとちょっと複雑になって来る。
では今日は長くなったのでここまで。
続きはまた明日!
こころと体を大切に。
今日もがんばりましょっか!
グレイス
