「痛みを知る幸い」
 小学生の時、全校生徒の前で、二回表彰されたことがあった。一回目は、絵を描くのが苦手な私の「餅つきの絵」が、学校代表となって区で展示された。二回目は、歯の健康優良児として、こちらも区役所まで行って表彰された。あれから、45年以上の年月が流れ、その間に1本の奥歯が虫歯となり、治療し銀を埋めていた。それが先日、はがれてしまい久しぶりに歯医者に行った。応急処置的な治療を受けたが、型を取る前に、長年ため込んでいた歯石の除去が先となった。三回の歯石の除去が終わり、いよいよ本格治療となる。歯石除去も思った以上に痛いものであった。時々歯の治療をする妻から、「あなたは健康の歯を頂いて感謝だね」といわれる度に、「そうだね~」と気のない返事をしていたが、歯の治療を進め治療の痛みを感じるに辺り、感謝をおぼえている。
 もちろん病いは、人間の罪の結果であり、神はそれを癒す方であるが、なぜ新天新地が到来するまでこの地上に残しておくのだろうかと考える。病いは喜ばしくなく痛く辛いものである。しかし、このことを経験する時、「神との関係」では、「人はまず自らが弱い存在であり、神に頼る必要がある」ことを自覚させ、「人との関係」では、「人の痛みを知り、人への憐みの心を持たせる」ことである。
「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」(口語訳マタイ5:7)