「主と同じ姿に至らせるために」
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙第一5章16~18節)。
喜ばしいことには感謝できます。苦労したことも実を結ぶと感謝できます。しかし、試練が続く中にある時には感謝できません。しかし、そのただ中でも感謝できるのが、クリスチャンです。なぜでしょうか?すべてを知っている神が、そしてすべてを行うことができる神が、最善の計画の中で最善の業を成してくださり、最善の結果を与えて下さることを私たちは知っているからです。また試練を次のように受け取っているからです。「神が、罪びとの頭なる私たちひとりひとりを、主イエス・キリストと同じ姿にするために、この試練の中でも、愛し、赦し、きよめる御手をおいて、造り変え造り上げて下さっている」。言い換えるなら、この試練の目的を知っているからとも言えます。罪深い者が「主と同じ姿に」ですから、一気には行かないことでしょう。じっくり徐々にです。「辛いこともあるけれど、ああ、主の姿に造り変えられている、造り上げられているのだなあ」と今後もしっかり立って、神の国を目指して歩んでいきましょう。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙第一5章16~18節)。
喜ばしいことには感謝できます。苦労したことも実を結ぶと感謝できます。しかし、試練が続く中にある時には感謝できません。しかし、そのただ中でも感謝できるのが、クリスチャンです。なぜでしょうか?すべてを知っている神が、そしてすべてを行うことができる神が、最善の計画の中で最善の業を成してくださり、最善の結果を与えて下さることを私たちは知っているからです。また試練を次のように受け取っているからです。「神が、罪びとの頭なる私たちひとりひとりを、主イエス・キリストと同じ姿にするために、この試練の中でも、愛し、赦し、きよめる御手をおいて、造り変え造り上げて下さっている」。言い換えるなら、この試練の目的を知っているからとも言えます。罪深い者が「主と同じ姿に」ですから、一気には行かないことでしょう。じっくり徐々にです。「辛いこともあるけれど、ああ、主の姿に造り変えられている、造り上げられているのだなあ」と今後もしっかり立って、神の国を目指して歩んでいきましょう。