「信仰による第一歩」     

 「信仰が始まるところに心配は終わり、心配が始まるところに信仰が終わる」(ジョージ・ミューラー)。ジョージ・ミューラー(1805~1898)は、「信仰の使徒」と呼ばれるイギリスで活躍した説教者、孤児院創設者(約1万人の孤児を救済した)。

私たちの日常は、信仰による平安と心配による不安がせめぎ合っている歩みではないでしょうか。妻は前向きな性格ですが、私は後ろ向きな心配性です。必要以上にあれこれと気を止め過ぎて、自分の範疇(器)を超えてしまうことがしばしばです。その時は、手を休め、足を止め、心を静め、深呼吸をして、主の前に黙想しみ言葉に聴くことが必要です。信仰を始めるのです。

「信仰とは、神がこの人生についてぼくたちよりもご存じで、ぼくたちが生き抜けるように助けてくださると確信することなのだ」(マークス・ルケード:イギリス牧師でベストセラー作家)。申命記33:27には、「いにしえの神は隠れ家、とこしえの腕で下から支えてくださる」。口語訳では、「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある」。神が神の永遠の御腕で私たちを支えて下さっていることに気づき、認める時、心配が終わり、心配から解放されるのです。