私には幼馴染みが何人かいて、今でもしょっちゅう近所でお茶をしたりしてお互いあーでもない、こーでもないと好き勝手なことを言い合っています。

 

ほぼ、私の分身たちと言っても過言ではないありがたい存在です。

 

先日のこと、Aちゃんが、同じく幼なじみのBちゃんのことについて、またもやちょっとした文句を言っていました。

 

これは今に始まったことではなく、Aちゃんは、Bちゃんのやることをどこか距離を置いて見られないのです。

 

私から見ると、それお節介じゃない? と思うような心配をよくしてるのです。

 

Bちゃんはそれを余計なお世話じゃない?ってある日私にこぼしたことがあります。

 

それを聞いた私は、日頃あまり本音を言わないBちゃんが、ここまではっきり言うってことは、余程腹に据えかねているんだなと思いました。

 

さあ、ここで今回の主題です。

 

このAちゃんと、Bちゃんにはさまれた私は、この状況をどう解釈するのが良いのでしょうか?

 

「相手は自分の鏡」という観点からすると、Aちゃんも、Bちゃんも私。

 

だから、それぞれの言い分は私が言われているのと同じ。

 

人に余計なおせっかい、焼いてない?

 

人から求められてもいないのに、余計なアドバイスをしたり、勝手に心配したりしていない?

 

自分の不安を勝手に相手に投影していない?

 

自分より相手を弱い者と見下していない?

 

というような自問自答の機会を与えられたと思えます。

 

これはこれで一つの解釈の方法です。

 

一方、今回私のハートにしっくりきたのが、次のような解釈です。

 

AちゃんやBちゃんの言動自体に関係なく、この状況は私自身の内側で何か静かな内輪もめが起こってないか? というものです。

 

相手に直接言わずに、第3者である私にそれぞれが不満をぶちまけている状態。

 

表面的には何事もないかのように装っている状況。

 

そしてそれを傍観している私。どっちもどっちなんだけどなあ~なんて思いながら。

 

「外側の出来事は、全て自分の内側を反映したもの」という観点からの解釈を採用してみました。

 

それは、今の私はまさしく全く問題ないよ、すべて順調だよ、って見せておいて、実は深いところで自分のある部分について文句を言っている。

 

つまり、受け容れていない部分があるっていうこと。

 

え~、以前比べると考えられないくらい自分のこと大好きだし、いろんなことも大分受け入れてる思ってたけどなあ・・・

 

どこ? どこ? どこ? 私は自分のどこを受け入れていないんだ!

 

これが私の素直な気持ちでした。

 

でも、冷静になって内観してみると、やっぱり自分の中でまだまだ受け入れられない部分があることを認めざる負えませんでした。

 

ただね、今までと違うのはその後の私の思考です。

 

今は、「そうか・・・わかった! それもOKしちゃおう!」ってなりました。

 

以前の私だったら、こうはいかなかった、それこそ原因探しに今頃翻弄されていたこておでしょう。

 

ということで、身近な状況一つ取ってみても、その解釈の仕方は様々。

 

そして、どれもこれも自分にとって正解です。

 

ただ、どう捉えるのが今の自分に一番しっくりくるか?

 

自分のハートは何と言っている? 

 

これだけです。

 

 

今日も楽しい一日をお過ごしください。

 

 

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