ある夜の出来事。
階下から、父と継母の怒鳴り声が聞こえてきた。
私は、ドキドキしながら二階の部屋のドアに耳を押し当てていた。
そうしたら、急に勢いよく目の前のドアが開いた。
夜叉のような形相の継母の姿。
「私、出ていくから」
私は、雷に打たれたかのようだった。
両目から、滝のように涙が溢れてきた。

「お母さん、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」

「お母さん、出て行かないで」
「お母さん、私が悪かったの」
「お母さん、ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」

私はいつのまにか、土下座をしていた。
頭を床にこすりつけて、許しを請うた。
悪いことをした訳じゃなかったのに。

ああ、あの時、どれだけ傷ついただろう。
ハートをわしづかみにされ、もがれるような痛み。

人って、泣きすぎると気を失いそうになるのね。
全身が痺れと震えていたのを今も覚えている。
それ程までに、絶望するのが耐えがたかったのだと思う。
もう、二度と誰も失いたくなかった。


でも、継母は残酷だった。
私があれほど泣いても気を変えなかった。

あの時、あれほど止めなかったら、私達の人生は別のものになっていただろうか。
傷付け合わずに済んだのだろうか。

私はまた泣き疲れて眠ってしまった。
翌朝、トントンとまな板を叩く包丁の音で目が覚めた。
私は継母が出て行かなかったことを知り喜んだ。
だが、それから一カ月以上も、父と継母は口をきかない日々が続いた。
私は、今度は板挟みになり胸を痛めた。
いつも、家の中は暗かった。

父と継母の喧嘩の原因は私達。
主に、姉が原因になっていた。
継母の姉への虐待は、エスカレートしていった。
脳性小児麻痺で、知恵遅れの姉。
たしかに、姉は頑固で言うことをきかなかった。

殴られれば殴られるほど、
蹴られれば、蹴られるほど
頑なになっていった。
それは驚くほどの力で身を縮めていた。
ああするしか、姉も自分を守る術がなかったのだ。


ある時は、階段から突き落とされ
ある時は、お灸を据えられた。
そして、掃除機の棒が折れるほど
殴られたと知った時、私も反発するようになった。

姉は私に何も言わなかったけど、助けようとしない妹を悲しんだと思う。
なんて、残酷な妹だっただろう。


私は姉がいたことを喜んだことがなかった。
ひとりっ子だったら良かったのにと何度も思ってきた。
びっこを引き、どうやっても人目を引いてしまう姉が嫌だった。
人々の好奇な目がたまらなくイヤだった!


姉を恨み、死んだ母を恨み、継母を次第に恨むようになっていった。
そして、どんどんエスカレートする虐待に、父は姉を施設に入れることを選択した。