こんにちは。
しばらく期間が空きましたが、
またブログを書きます。
私生活では、この一週間そこそこ大変でした。
若干忙しかったのと、
精神的にもキツいことが多い期間でした。
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さて、
発達障害は障害なのかというテーマでブログを書きます。
今回のブログ記事の前提として、
私は今回ツイッターでアンケートを実施してみました。
アンケーと結果は以下のとおりです。
●1.アンケートの総評
Togetterでもまとめたので、ぜひ見てみてください。

ツイートへのリンクは以下のとおりです。
Twitter:https://twitter.com/grace_adhd/status/773725876835880962
また、反響をまとめたものは以下のとおりです。
Togetter:https://t.co/Z1gA4ba0NN
うち、この当事者の方に限って言うと、
①の回答をした人のほぼちょうど三倍の人が、②を選んでいるという結果となりました。
私のフォロワーに発達障害当事者が多かったという関係もあり、
多くの当事者にご回答いただくことができました。
●2.今回のアンケートの目的
このアンケートを実施した背景に関してですが、
まず、ほかでもない私自身がまず当事者であります。
また、多くの当事者と、その周辺の人たちにとって、
障害に関する話は、とても繊細な話題であると思います。
そうしたことも踏まえて、
ただ一方的に質問だけして終わり、
センセーショナルに発達障害を取り扱って終わりというのも、
やや誠実さを欠くかなと思うので、
このアンケートを実施した目的について簡単に説明させていただきます。
といっても、なにか深い考えがあって実施したわけではありません。
私は小さいころから発達障害のほかにもいくらか持病や虚弱体質があったのですが、
病気や障害を「個性」と言われることに疑問や違和感を感じることがよくありました。
もちろん「個性」という言葉をどう定義するか次第なので、
「病気や障害が個性かどうか」などという問いには、
言葉遊び以上の意味はないというのが、
最もたしかな答えだとも言えるでしょう。
それは一つの考え方であると思いますが、
それでもあえて聞こうと考えたのは、
多くの発達障害の当事者にとって、
「自分の障害が“個性である”と言われることについて、
自分の自然な言語感覚に照らして、違和感はないのかどうか。」
ということを率直に問うてみたかったからです。
個性という言葉のなかに障害を含めることが、
ひとりひとりの言語感覚に照らして、
疑問や違和感をもたらすものでないかどうか聞いてみたいという個人的な興味から、
今回アンケートを行いました。
ですので、
自分の主張を権威づけるためのデータにしようとか、
このアンケート結果をもとに研究や社会運動につなげていこうといった狙いはありません。
今回こうしてたくさんの回答をいただけたこと、
また、アンケートに対する回答を文章で、
自由回答のようなかたちでいただくことができ、個人的には非常に満足しております。
リプライなどで、自由記述のようなかたちで思いがけずたくさんの回答をいただけたことも、
発達障害に興味を寄せる多くの方々にとって、
いろいろなことを考えさせる質問ができたという手ごたえになり、
聞いてみて本当に良かったと思っているところです。
●3.アンケート結果についての感想
今回、「個性の一つとして誇りにも思う」という回答を選んだ発達障害者が、
およそ四人に一人にとどまったという結果については、
個人的には非常に驚きでした。
病気や障害の有無にかかわらず、やはり多くの人にとって、
「いまの自分を肯定したい」「ありのままの自分を誇りに思いたい」
という願望があるものだと思っていたため、
当事者に聞けば、個性であるという回答が半数以上を占めるのではないかと想像していました。
しかし実際の結果では、そうした回答はごく小数にとどまりました。
私にとっても決して他人事ではありませんが、
多くの当事者が、自分を肯定し、未来を見据えることができずにいるという、
厳しい現状を示唆するものとして、結果には正直かなりの衝撃を受けました。
●4.今回のアンケートの課題
前述のとおり、今回のアンケートは、
「自分の障害が“個性である”と言われることについて、自分の自然な言語感覚に照らして、違和感はないのかどうか。」
ということを問うために行ったものです。
こうした質問の趣旨を噛み砕いて、質問に落とし込むという意識で、
今回、設問を今回設定しました。
しかし、「誇り」という言葉を個性のうえに更に足したこと、
「劣等感の原因」という言葉を個性の反対語として配置したことなどは、
回答者に若干の混乱をきたしたものであったと、
様々な反応を見ていて感じました。
そうした反応のひとつが、今回いくつか寄せられた、
「誇りとも劣等感とも思わない」といった反応に現れているものと認識しております。
もっとも、
「誇りと“も”思う」「劣等感の原因に“しか”なっていないと思う」と書いた意図に鑑みれば、
迷った方の多くは前者を選択できたものと思われます。
それを考慮してなお、後者を選択した人が多いという事実にこそ、
多くの示唆が含まれていると考えなければならないと思っています。
また、次になぜ個性という言葉とともになぜ“誇り”という言葉を足したか、
個性という言葉の反対語になぜ“劣等感の原因”という言葉を配置したかについて説明します。
これに関しては、
個人的な感覚として、
個性というのは一般的に、
「自分らしさを形作る自己の特徴で、かつ、優劣といった尺度を持たないもの」
もしくは、
「自分らしさを形作る自己の特徴で、かつ、自分の優れているところ」
といった意味でつかわれることが多いと考えたからです。
前者の例は国籍や人種などですね。
後者の例は、高い学力や高い運動神経といったところでしょう。
いずれも、個性という言葉によく馴染むものだと思います。
つまり、
「発達障害の有無が優劣で論じられるものではないと考えており、なおかつ今の自分をそれなりに肯定している」人であれば、無理なく①番を選べるだろうと考えたためです。
優劣のない個性を、誇りにも思うというのは、さして飛躍した話ではないからです。
また、
「発達障害の有無は優劣で論じられるものであるが、文脈によっては発達障害を持つことが“優”になることもある」と考えた人もまた、無理なく①を選べたものと思われます。
文脈によっては優れたものをもたらす自己の特徴を、
誇りにも思うというのも、また、さして飛躍した話ではないからです。
こうした意図をもとに考えられた設問ではありましたが、
今回個性という言葉の共有が回答者と必ずしも十分に図れていなかったと思われる点は、
若干の課題とみるべきであろうと思います。
また、回答者の第多数が私のフォロワーとその周辺の方々であったことも、
サンプルに偏りをもたらしたものと思われます。
インターネット上で発達障害当事者であることを自己開示する人に、
どのような傾向性があるかは不明ですが、
一般的な発達障害当事者と、
当該アンケートの当事者との差異を考慮することによって、
より正確で深みのある考察もできるようになると思います。
●5.私にとっての発達障害は
最後に、一方的に質問して釈明して終わりというのもなんなので、
私なりの回答を書きます。
私が回答者であるとして、
回答にはやはり非常に迷ったと思います。
しかし、私なら①番に回答します。
今現在の自分にもそこまで大きな自己嫌悪もなく、
過去の自分がやってきたことにも、そこまで大きな後悔もなくやれているからです。
もっとも、障害がなければ今以上にうまくやれていた可能性はあるわけですが、
いい所もあれば悪いところもあるのが人間かなという意味で、
障害の部分もひとつの個性と思うこともできなくはないかなという感じで考えてます。
長くなりましたが、今回は以上です。
書き出したらくどくどと、やたら理屈っぽい文章になりましたが、
最後までお読みいただきありがとうございました。