これはテスト用ブログです。こんな感じでリレーしていきませんか~。
人間くささ、万歳!!
ちは。
小谷さんから紹介を受けた、企画制作担当の中澤です。
小谷さんがつくるスープ、おいしそうだなぁ…。
一度ぜひ、食事に招いてほしいものだ。
さて、今日は“人間くささ”(くささ? 何かヘンな日本語だ)について、お話ししようと思う。最近、「人間くさいってイイなぁ…」としみじみ思う私である。私の古くからの友人のお母さんを見ていて、毎回思うのだ。「この人、なんて人間くさいんだっ!」と。
友人宅には、ひっきりなしに色んな人が訪れる。友マはその度に、「この人たちをお腹いっぱいにさせなくては」という強迫観念めいた思いに支配され、大皿料理をどんどんつくる。戦後ニッポンでもないのに、「若い人はみんなお腹が空いてるもの」と思い込んでいるらしい。そして、その料理が実においしい。
友人ママはおっちょちょいである。うっかりミスや物忘れをする度に、「ほら、私ってB型だからね! ガハハ」と、血液型のせいにして事を済ましてしまう。そのくせ、人から受けた恩は絶対忘れない。
友人ママはとにかく気前がいい。旅のお土産やらおいしいもののお裾分けやらをいつもしてくれる。「損得感情ってものがないのか、この人は」というくらいに、その大盤振る舞いっぷりは実に見事。
友人ママはまったく気取りがない。あけっぴろげで声がでかくて、誰とでも友だちになってしまう。大人の世界にありがちな他人行儀な空気など、まるでない。
そんな友人ママは自分のことを「私は欠点だらけ」と言う。確かに凸凹感の強い人だと思う。でもその凸凹感は決して不快ではなく、彼女を見ていると「人間って愛しい生き物だ…」とあったかい気持ちになる。誰でもみんな長所と短所があるもんだし、短所も含めてまるごとカミングアウトすることで、相手もまた心を開いてくれる。
彼女の影響を受けてか、私も“開き直り路線”をひた走る今日この頃である。わからないこと・苦手なことは、得意な人にどんどんお任せしてしまう。自分のできないことができるデザイナーという人種はすごいと思うし、自分にはない特長を持つ先輩や後輩、同僚もすごいと思う。自分ではよくわからないけど、私も私なりの“すごいところ“が何か一つくらいはあるはずだし。きっと、みんなのすごいところを一つに束ねられる人を、良いディレクターっていうんだろう。
ま、開き直りすぎるのも危険ですけどね。向上心も大切です(若干反省)。
さて次回は、落ち着いた雰囲気がいかにも大人な、真壁さんの登場です。テンパってても何故か優雅に見えてしまう、その秘密は何なんでしょうか? 今度、伝授してください!
小谷さんから紹介を受けた、企画制作担当の中澤です。
小谷さんがつくるスープ、おいしそうだなぁ…。
一度ぜひ、食事に招いてほしいものだ。
さて、今日は“人間くささ”(くささ? 何かヘンな日本語だ)について、お話ししようと思う。最近、「人間くさいってイイなぁ…」としみじみ思う私である。私の古くからの友人のお母さんを見ていて、毎回思うのだ。「この人、なんて人間くさいんだっ!」と。
友人宅には、ひっきりなしに色んな人が訪れる。友マはその度に、「この人たちをお腹いっぱいにさせなくては」という強迫観念めいた思いに支配され、大皿料理をどんどんつくる。戦後ニッポンでもないのに、「若い人はみんなお腹が空いてるもの」と思い込んでいるらしい。そして、その料理が実においしい。
友人ママはおっちょちょいである。うっかりミスや物忘れをする度に、「ほら、私ってB型だからね! ガハハ」と、血液型のせいにして事を済ましてしまう。そのくせ、人から受けた恩は絶対忘れない。
友人ママはとにかく気前がいい。旅のお土産やらおいしいもののお裾分けやらをいつもしてくれる。「損得感情ってものがないのか、この人は」というくらいに、その大盤振る舞いっぷりは実に見事。
友人ママはまったく気取りがない。あけっぴろげで声がでかくて、誰とでも友だちになってしまう。大人の世界にありがちな他人行儀な空気など、まるでない。
そんな友人ママは自分のことを「私は欠点だらけ」と言う。確かに凸凹感の強い人だと思う。でもその凸凹感は決して不快ではなく、彼女を見ていると「人間って愛しい生き物だ…」とあったかい気持ちになる。誰でもみんな長所と短所があるもんだし、短所も含めてまるごとカミングアウトすることで、相手もまた心を開いてくれる。
彼女の影響を受けてか、私も“開き直り路線”をひた走る今日この頃である。わからないこと・苦手なことは、得意な人にどんどんお任せしてしまう。自分のできないことができるデザイナーという人種はすごいと思うし、自分にはない特長を持つ先輩や後輩、同僚もすごいと思う。自分ではよくわからないけど、私も私なりの“すごいところ“が何か一つくらいはあるはずだし。きっと、みんなのすごいところを一つに束ねられる人を、良いディレクターっていうんだろう。
ま、開き直りすぎるのも危険ですけどね。向上心も大切です(若干反省)。
さて次回は、落ち着いた雰囲気がいかにも大人な、真壁さんの登場です。テンパってても何故か優雅に見えてしまう、その秘密は何なんでしょうか? 今度、伝授してください!
スープとアイデアは道具でノせる。
真壁さんから紹介を受けた企画編集担当の小谷です。
森美術館で開催されている「アフリカンリミックス:多様化するアフリカの現代美術」を見に行こうと思っているのですが、美術作品に詳しい真壁さんにいろいろおしえてほしいなー。
さて最近、なんだか包丁の切れが悪い。
私は日々の野菜不足を補うため、毎週末大量のスープをつくる。できれば1週間もつようにとたっぷり作るのだけれど、たいていは木曜日くらいに尽きてしまう。最初は、さらっと浅い風味で野菜の味がしっかり生きていておいしい。それから毎晩食べに食べ、残りわずかになる頃には、野菜がこっくりと崩れた感じになる。この時期のとろっと野菜のうまみが溶けたスープも、これまた絶品。
何より良いのは、スープづくりは簡単だということ。ただ野菜を鍋に放り込み、ひたすら待つ。やるべきは、野菜を切ることだけ。とにかく野菜を切る。切って、切って、切りまくる。そうしているうちにスイッチがはいる。「下ごしらえハイ」。最初はちょっと面倒な感じがする野菜切りも、この下ごしらえハイの状態がくれば、もう切ることが楽しくて、楽しくて、仕方なくなる。トントントントン止まらなくなる。最後は、オイオイ、そんなに鍋にはいるのかい?という量になってしまうくらい。
そして、何よりこの下ごしらえハイに必要なのは、「切れる包丁」なのだ。包丁の切れ味が悪いと野菜を切るのは楽しくない。下ごしらえハイはやってこない。最近、お気に入りの包丁の刃が欠けてしまったらしい。切れ味が悪い。自分をノセる道具というのは大切なのである。
お気に入りのペンにも同じ効果があるように思う。誰にもあるだろうけれど、私にとっては、ブルーインクの細いペンがそれだ。企画を考えなくてはいけないとき、何らかのアイデアが必要なとき、私はこのペンをとにかく持って、いらなくなったコピー用紙の裏にぶつぶつ言いながら、何かを書いてみる。とにかく浮かんだことをすべて、書き続ける。他のペンを使っているときより、このペンを使っている時の方が、良い案が浮かぶ(ような気がする)。
以前読んだ本にこんなことが書いてあった。人は「頭が疲れたから休憩しよう」とよく考える。私もしょっちゅうそう思う。しかし、実は頭=脳は疲れるということはないのだそうだ。疲れているのだとすると、それは「目」なのだという。だから、休憩するときもできるだけ、頭の方は動かし続けるといいらしい。動かし続けることによって脳のスイッチは入るのだという。この本の影響もあって、なるべく(いや、ほんとなるべくですが)考えを止めないよう心がけている。
これはなんだかスープづくりに似ている。とにかく手に馴染む道具を持って、初めてみる。最初はやみくもにその対象にむかう。そしてひたすら続けること。そうすればスイッチがはいるときがやってくる。
さてと、明日予定されている某社の企画会議。それまでに考えをまとめなくてはいけないが、まだ良い案は浮かばない…。
うーん、大好きなブルーのペンとともに、とにかく考え始めてみますか。来てくれ~、下ごしらえハイ!
さてお次は、料理教室に通っていて、実はお料理上手の中澤さんです。先日いただいた、からあげも杏仁豆腐も絶品でした。また新作ができたらご相伴にあずかるのを楽しみにしてます~。
森美術館で開催されている「アフリカンリミックス:多様化するアフリカの現代美術」を見に行こうと思っているのですが、美術作品に詳しい真壁さんにいろいろおしえてほしいなー。
さて最近、なんだか包丁の切れが悪い。
私は日々の野菜不足を補うため、毎週末大量のスープをつくる。できれば1週間もつようにとたっぷり作るのだけれど、たいていは木曜日くらいに尽きてしまう。最初は、さらっと浅い風味で野菜の味がしっかり生きていておいしい。それから毎晩食べに食べ、残りわずかになる頃には、野菜がこっくりと崩れた感じになる。この時期のとろっと野菜のうまみが溶けたスープも、これまた絶品。
何より良いのは、スープづくりは簡単だということ。ただ野菜を鍋に放り込み、ひたすら待つ。やるべきは、野菜を切ることだけ。とにかく野菜を切る。切って、切って、切りまくる。そうしているうちにスイッチがはいる。「下ごしらえハイ」。最初はちょっと面倒な感じがする野菜切りも、この下ごしらえハイの状態がくれば、もう切ることが楽しくて、楽しくて、仕方なくなる。トントントントン止まらなくなる。最後は、オイオイ、そんなに鍋にはいるのかい?という量になってしまうくらい。
そして、何よりこの下ごしらえハイに必要なのは、「切れる包丁」なのだ。包丁の切れ味が悪いと野菜を切るのは楽しくない。下ごしらえハイはやってこない。最近、お気に入りの包丁の刃が欠けてしまったらしい。切れ味が悪い。自分をノセる道具というのは大切なのである。
お気に入りのペンにも同じ効果があるように思う。誰にもあるだろうけれど、私にとっては、ブルーインクの細いペンがそれだ。企画を考えなくてはいけないとき、何らかのアイデアが必要なとき、私はこのペンをとにかく持って、いらなくなったコピー用紙の裏にぶつぶつ言いながら、何かを書いてみる。とにかく浮かんだことをすべて、書き続ける。他のペンを使っているときより、このペンを使っている時の方が、良い案が浮かぶ(ような気がする)。
以前読んだ本にこんなことが書いてあった。人は「頭が疲れたから休憩しよう」とよく考える。私もしょっちゅうそう思う。しかし、実は頭=脳は疲れるということはないのだそうだ。疲れているのだとすると、それは「目」なのだという。だから、休憩するときもできるだけ、頭の方は動かし続けるといいらしい。動かし続けることによって脳のスイッチは入るのだという。この本の影響もあって、なるべく(いや、ほんとなるべくですが)考えを止めないよう心がけている。
これはなんだかスープづくりに似ている。とにかく手に馴染む道具を持って、初めてみる。最初はやみくもにその対象にむかう。そしてひたすら続けること。そうすればスイッチがはいるときがやってくる。
さてと、明日予定されている某社の企画会議。それまでに考えをまとめなくてはいけないが、まだ良い案は浮かばない…。
うーん、大好きなブルーのペンとともに、とにかく考え始めてみますか。来てくれ~、下ごしらえハイ!
さてお次は、料理教室に通っていて、実はお料理上手の中澤さんです。先日いただいた、からあげも杏仁豆腐も絶品でした。また新作ができたらご相伴にあずかるのを楽しみにしてます~。
ミョーにムズカシくしたがるけど。
こんにちは。グラスルーツ歴半年越えました、企画制作のまかべです。
かなり話題が古くてアレですが、盗作の絵画が文部科学大臣賞をもらっちゃった件で遅ればせながら語らせていただきます。
アートとか芸術、とか言ったとたんに「よくわからん」と腰が引けてしまう人と、「世の中はカンケーないわ、私が好きだからいいのよ」と開き直ってしまう人で世の中の大部分が構成されているような(気がする)わたしたちの社会で、今回みたいなことが何度もあると、よけいに「わけわからん」派と「好きだからいいじゃん」派の二大勢力に少数派が駆逐されそうな気がして、ちょっと切ないです。
美術は、けっして「わけわからん」ほど高尚なものではないし、「私が好きだからよい」と開き直られるほど自分本位なもんでもなくて、社会とリンクしてて、現実的で、説明のつく理論があって、テクニックや方法論が必要な、でも作者の個性や人間性が反映される、フツーの表現方法です。スポーツと同じように歴史を知れば余計に面白いし、音楽と同じように積極的にたくさん触れればそれだけ「目が肥え」ます。ただ、スポーツや音楽や映画と違って、「たくさん見てる」人の数が圧倒的に少ないというだけです。
で、美術作品はわんさかあるから、たくさん見る人(たとえば学芸員とか評論家)がいくらがんばっても限界があって、(印刷物や写真でも)世界中の作品を見ることなんて無理です。審査員になるような知識と目をもち、作品の芸術性の高さ(これにもわりと明確な判断基準があります)を位置づけられるような人でも、それが誰かの作品の真似だなんてことは、そのオリジナル情報をもってなければ、わかるわけありません。
つまり今回の騒ぎはそもそも、たんに情報の欠如が原因であって、その後の「真似じゃありません」発言や「責任はある」発言は、もう的はずれっていうか、ゼロとワンの間に余計なノイズを入れちゃうだけ、結局世の中の「美術離れ」を加速させることにしかならない気がします。だからこの騒ぎは情けないというより(いや情けないけど)、切ないなあ、と。
余計なノイズはいらないのになあ。
ウンチクですが、別の作品を自分の作品に取り入れるやり方は、(現代)美術の方法としては一般的です。アプロプリエーション(流用)とかサンプリングと呼ばれるこの方法は、オリジナルの作者に対する美術史的な言及やリスペクトがあって初めて成立するもので、今回のようなマネ(盗作)とは違います。
だがしかし、リスペクトはあってもマネできないものはあります。次に登場のコタニさんは可愛い足の持ち主ですが、足サイズ24.5超のマカベにはマネしたくてもマネできません。ていうか、一度でいいから可愛い足になりたいぜ。可愛いなあと思いながらちょっとヘコむぜ。リスペクト。ではよろしくお願いしまーす。
かなり話題が古くてアレですが、盗作の絵画が文部科学大臣賞をもらっちゃった件で遅ればせながら語らせていただきます。
アートとか芸術、とか言ったとたんに「よくわからん」と腰が引けてしまう人と、「世の中はカンケーないわ、私が好きだからいいのよ」と開き直ってしまう人で世の中の大部分が構成されているような(気がする)わたしたちの社会で、今回みたいなことが何度もあると、よけいに「わけわからん」派と「好きだからいいじゃん」派の二大勢力に少数派が駆逐されそうな気がして、ちょっと切ないです。
美術は、けっして「わけわからん」ほど高尚なものではないし、「私が好きだからよい」と開き直られるほど自分本位なもんでもなくて、社会とリンクしてて、現実的で、説明のつく理論があって、テクニックや方法論が必要な、でも作者の個性や人間性が反映される、フツーの表現方法です。スポーツと同じように歴史を知れば余計に面白いし、音楽と同じように積極的にたくさん触れればそれだけ「目が肥え」ます。ただ、スポーツや音楽や映画と違って、「たくさん見てる」人の数が圧倒的に少ないというだけです。
で、美術作品はわんさかあるから、たくさん見る人(たとえば学芸員とか評論家)がいくらがんばっても限界があって、(印刷物や写真でも)世界中の作品を見ることなんて無理です。審査員になるような知識と目をもち、作品の芸術性の高さ(これにもわりと明確な判断基準があります)を位置づけられるような人でも、それが誰かの作品の真似だなんてことは、そのオリジナル情報をもってなければ、わかるわけありません。
つまり今回の騒ぎはそもそも、たんに情報の欠如が原因であって、その後の「真似じゃありません」発言や「責任はある」発言は、もう的はずれっていうか、ゼロとワンの間に余計なノイズを入れちゃうだけ、結局世の中の「美術離れ」を加速させることにしかならない気がします。だからこの騒ぎは情けないというより(いや情けないけど)、切ないなあ、と。
余計なノイズはいらないのになあ。
ウンチクですが、別の作品を自分の作品に取り入れるやり方は、(現代)美術の方法としては一般的です。アプロプリエーション(流用)とかサンプリングと呼ばれるこの方法は、オリジナルの作者に対する美術史的な言及やリスペクトがあって初めて成立するもので、今回のようなマネ(盗作)とは違います。
だがしかし、リスペクトはあってもマネできないものはあります。次に登場のコタニさんは可愛い足の持ち主ですが、足サイズ24.5超のマカベにはマネしたくてもマネできません。ていうか、一度でいいから可愛い足になりたいぜ。可愛いなあと思いながらちょっとヘコむぜ。リスペクト。ではよろしくお願いしまーす。
