弱視、空間認知、視覚を含めて不安が出てから私は出かける時に駅を使う場合、介助を頼むようになった。

 

介助を頼み始めて間もない頃、いつも使う最寄駅で、早朝の駅で、パニック発作を起こしながら介助を頼んだ時、杖を持っていないという理由と発作を起こしてるという理由で、「本当に障害者か? あ、障害者だな。精神の」と暴言を吐いた駅員がいた。

 

その時、その駅で「当務駅長を出せ。」と言ったが「いねーよ」とその駅員に言われて、介助を頼んでも「しねーから」と言われ、キレながら隣の駅までどうにか辿り着いて、苦情を申し立てた。

 

そうすると、「来た駅になりますが助役でよろしければお話を聞きます。」と言ってくれて、戻った。

 

その時、ホームに乗った電車が入る時、独特な声が聴こえた。

 

「業務放送! フタバン到着! ナナヒャクヨンジュウワイ車掌! 一号車お客様降車ご案内!」

 

車内からも聞こえる独特の声、到着時に扉が開くとスロープ板を置いて丁寧な謝罪。

 

「先程はうちの○○が大変な失礼を致しまして、駅員以前に人としてのモラルの問題です。本当に申し訳ございませんでした。それと、安全の為、業務放送を流させて頂きましたがご迷惑でしたら謝罪します。」

 

丁寧過ぎて驚いた。

 

降車案内終了の放送を流す前に謝罪をする。

 

立派な人だと思った。

 

私はそのまま「流して構わない」と伝えたら私に一礼してからスロープ板を外して折り畳んで「業務放送、ご案内終了!」と手際よく放送。

 

この後、問題のある駅員を呼んでしっかりと対応して頂いた。

 

そして、「杖を持たないからといって普通に見えたは理由にならない。それで当事者が差別だと感じたら差別。結局相手にしかない感覚を壊してしまったと言われたら、健常者側の正義を押し付けた暴力と同じ。」ということをはっきり言ってくれた。

 

それ以降、私は駅を使う時、何度も対応してくれているSさんに憧れた。

 

他にも別の駅で起きた問題も対応してくれたりと凄く丁寧で当事者に理解のある人だ。

 

こういうのを人間という。

 

我々、反健常者、反医療、反教育の当事者からしたら、健常者=人間じゃない。

 

健常者=社会という幻想の歯車に乞食しているだけの汚い羊であり、社会という幻想は医療や教育を含めて、その乞食羊が全員でピラミッドを組み、狼の毛皮を被り、巨大な狼だと思い込んで歩き回っているだけの聳え立つクソでしかない。

 

もっと言うのならば・・・・

 

健常者という生物は人ですらない。

 

幻想という便所に湧いて、群がるウジ虫という名の下等生物で、乞食という認識しかない。

 

失礼、取り乱しました。

 

私はドクターXの大門美知子女史を現実に存在させたような生き方を目指している。

 

できないことはやらない、したくないことはしない、できることだけは失敗せずにやる、媚びない、利用されない。

 

私の能力は私にしかない私と最愛の彼女だけの現実。

 

私は自分の能力を社会という幻想のハイエナや乞食の為に使う気は一切ない。

 

その能力を彼女を守る為、信じた正義を貫く為にしか使わない。

 

「ただ、もう一人の自分がそこにいる、そんな気がして」

 

この言葉が私にとっての現実になった以上、周りがこうした方がいいと言おうが、あぁした方がいいと言おうが、自分で決めて切り開くのが私のやり方。

 

使えない老害自営業の私を利用しようとしたGPの某I氏、私の表現を縛り、健常者と幻想を正当化した悪しき存在で私は学習した。

 

私の能力を使える存在は私自身と、最愛の彼女と、文句を言わずやることだけしてくれる私を理解できるパトロンの三者同列でしかない。

 

もう、期待も、理想も、幻想も要らない。

 

ただ、今の私は自己の現実を獲得した悠久の幻影に他ならない。