私に多くの病名がついているとして、医者とセラピストの協議でそうなったのだろうから、異論反論したとてこちらはど素人。
反論する意味もないのだが。
不眠は酷く過食もある。鬱傾向。
全てあてはまるが病と性格の線引きって、精神科としての専門分野で私はいつ治療を開始すべきだったのかそこが知りたい。
障害とは、外見的なものならば判り易い。
こころの障害。
私は障害者に認定された。
カテゴライズされたことは安堵ではあるが、日に日にわたしが不眠なのも過食症なのも友人をつくらないのではなく、できにくかったのも、全てこの記された病名のせいだったのかと納得はできない。
通行手形は自動車免許証以外のわたしを某と名乗る証明書の一つにはなった。
今認定を受けて、この先どんなサポートが受けられるのか、調べて動かなければいけないのだけど身体が動かない。
金曜日を土曜日に診察を変えてもらいそれもキャンセルした。
今日は仲間とごはんを食べる約束を断った。
彼女のことがきらいだからではない。
昨夜20時に薬を飲み、2時間眠れたら行こうと床についたがこの時間まで一睡もできていない。
陳述書を書く為に断薬したのが悪かったのかもしれない。
予測はできたが、誰かわたしの代わりをしてくれるというの?
こうして、あの人はと更に信頼を失う。
家の中はゴミ部屋と化し、シンクは一昨日山のようなビニール袋と発泡スチロールと茶碗と野菜のかすを片したばかりなのにすでに同じ状態になってる。
片せる日もある。
二足の足で立ち、シンクを片し、洗濯物を集めて洗濯機で回してハンガーに干す。
そして8月の予定表をつくる。
こうして日記を書いているのもそのひとつ
鬱ではあろう。不眠も過食もその症状にある。
けれどわたしという人間がまだ負けるなと私に耳に応援の囁きをしてくれてる。
戻る道のない先細りの未来なれど、玄関を蹴って家を出た日からあの日々より不幸はない。
人間は人間を癒し慈しみ、時にきびしく愛が互いになければ同居し結びあってる事実だけなら、捨て去っていい。
軽やかに棄てていい。