とある精神科の先生の薬についての説明を聞きながら朝このブログに向かってる。

『デパス』について喋ってる動画、三人目を聞いてる。


【悪名高き】という冠言葉をつけて説明してる。

そうですか。

そうなんですね。

ベンゾ系は離脱が出るそうだが、わたしはトリンテリックス20mgとロフラゼプ酸エチル1mgの夕薬で服用で、関係性はわからないがデパスの頻度がすごく変わったし、なによりデパスが無かったら死ぬかもという思い込みが弱まった気がする。


けれど、遠出する、慣れない電車、特別快速電車、見知らぬ新しい場所へ向かう時、緊張すると予測できる場所へ向かう時は鞄に携帯していないと、それだけで過呼吸が起きるほど大事な薬だ。


トリンテリックスとロフラゼプ酸エチルの効果か、離脱症状は感じられないし、鞄に在るというだけで目的地までなんとか行ける。


【こころは脳だ】とその医者は言いきっていたが、その通りだと思う。

脳がバグっていたり、通常の人たちのような当たり前の認識がしづらかったり、思い込みからの解放がされ難かったり。脳の成長が環境によって歪められた部分があるとして、それを正論が治癒させることはない。

医者と臨床心理士と信頼のおける師の言葉をすこしづつ取り込んで、矯正、認識の歪みをいつかすこしでも真っ当に近づけられればいいという、ほどの希望。望み。


臨床心理士と先日のカウンセリングで、大切なことを私の中に落としこんでもらった。


『怒り』が沸かないわきづらい私はどうしたらいいのかと尋ねた。

喜怒哀楽のなかで、いちばん感じづらい怒り。

夫にされたこと、親友の裏切り、姉の裏切り、弟の家族への冒涜裏切り、周囲からは【それは許しちゃいけない】【きょうだいであれ訴えるべき】【貴方は利用されてるだけ】と、私以上に怒ってみえる師方々。

まして夫にさえ自分のなにが悪かったのかと始めの頃は考えた。

悪いのは相手。これは間違いない。

でも怒れない。おこれないじゃなく、いかりが沸き上がらない。


怒りは、正当な感情というのは解る。怒っていい相手を恋しいと思う時期があった過去の蜜月の幸福には目はつぶるの?

無しになるの?


否、ちがう。

なにかちがう。

怒り、がわからない。そうとしか言えない。


臨床心理士の先生はホワイトボードに、裁判の様子を描いた。

そこに私は立っている。

夫がいる。楽しい思い出がいっぱいあったという夫がいる。

すべて嘘とは思わない。


夫といて耐えられなかったことを訊かれた。

応えた。


先生は『もしも貴女がお腹をいためて産んだ我が子が、こういう目に遭っているときかされたらどうですか?』

『怒りが沸きます。』『守ります。』

即答した。


弟も姉も守った。

きょうだいがつらい目に遭っている時、我が力の程度など考えず行動を起こした。


先生の喩えは、肛門の近く、空腹の腹の奥の奥まですとんと落ちた。

何故自分事になると怒れないかわからない。自分は蹂躙されても仕方ない人間だと思っているのか。

分からない。


しかし母は怒ってくれた。いつも。

母はいつも守ってくれた。

私はわたしを生んだ母となる。