識者の方々にとっては常識的な事だと思うが、私のような無知な若輩者にとっては驚きに満ちた、青天の霹靂(へきれき)とも言える記事である。
URLが短く、携帯からの投稿でもなうに貼ることは可能だが、以下、あえて記事にさせて頂く。
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gooブログ 暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~
『”電通”の正体~日本メディアを牛耳るメディアの王様~』(10/03/15 00:46)
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/7dcd9f4eda594b045061a36814edc846
これまでに幾度となく大手マスメディア(TV)の垂れ流す偏向報道について苦言を呈してきたが、そんなマスメディアを牛耳る存在をご存知であろうか?それは皆さんご存知の”電通”である。その電通の正体について、”カレル・ヴァン・ウォルフレン”著『日本権力構造の謎』(原題 THE ENIGMA OF JAPANESE POWER)上巻にて、非常にわかりやすく解説されているので、以下に転載する。
(転載開始)
影のメディア・ボス
電通ほど一手に、直接、あるいは多数の下請けを使って大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、ほかにない。万国博やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこのカイシャが総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。電通はまた、政治的に活発な動きを見せる。これについては、すぐ後で詳細に考えよう。
電通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。多数の子会社や下請け会社を通じて行使する統制力については、いうまでもないだろう。約百二十の映像プロダクション、四百以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。午後七時~十一時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握っているからだ。
番組制作者たちは、冗談めかして、電通の事を“築地編成局”と呼ぶ(電通の巨大な本社は東京の築地にある)(21)。日本では、扱い高が即、政治力になるので、電通はこうした役割を演じられるのである。このような状況下では、電通に気をかけて扱ってもらえることが一種の特権となり、立場が逆転して広告主が電通の指示に従うことになる。商業テレビ局にとっても事情は同じで、電通に極度に依存する形になっている。
その結果、電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、強力なマスメディアを通しての社会統制力になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない。また、その中毒症状がこれほど強く蔓延しているところも他にない。レストラン、各種の店、観光バスの中、タクシーの中にまでテレビが備えつけられている。テレビ番組の相対的な質の高さを誇れる国は、あったとしてもきわめて少ない。だが、テレビが全世界的に文化を砂漠化しているとしても、その悲惨さの程度はかなりの差がある。皮肉な事に、NHKが、官界ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題について掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある。それ以外はNHK定食番組にみられるように疑似学術的で無害の、論争を注意深く避けた番組をはじめとし、風刺漫画に近い日本人好みの社会風俗を描くホームドラマがあり、そして頭がまったく空っぽのショー番組までどの局にも揃っている。
クイズ番組や素人のど自慢は外国のもの真似番組であるが、日本ではこの種の番組は愚神礼賛の域に達している。人気“スター”は大量生産され、その“キャリア”はめったに二年以上もたない。彼らは、単に有名であるがゆえに有名だという欧米諸国の芸能人現象の拙劣な劇画といえる(22)。
このような現象を国際的に評価する一般的な基準はない。しかし、欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢十一、二歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢八、九歳に合わせている。日本で日々の娯楽の質を決定する上で主要な役割を果たしているのは電通であり、電通はほとんどどすべてのものを最低レベルまで下げるのに成功している。頭の働きを鈍化させる芸能娯楽を作り出す機関は他の国にも存在するが、今ここで我々が検討しているのは、ほぼ完全に他者を締め出して、大衆文化の質の向上を抑制したり拘束できるだけの力を持つ組織のことである。
原註 6章 従順な中産階級 485Pより
(21) マスコミ関連産業労働組合共闘会議編『マスコミ 一九七〇』 (労働旬報社、一九六九年) 一三六頁。
(22) この現象についての先駆者的仕事であり、私の知っている限りで今も最良の記述は Daniel,Boorstin,The Image,Atheneum,1961〔邦訳:『幻影の時代』 後藤和彦、星野郁美訳、東京創元社、一九六四年〕である。
(転載終了)
上記より、電通が握っている”独裁利権”をもってすれば、各局に低俗な馬鹿バラエティを垂れ流させることにより日本国民を愚民化することなど、いとも簡単にできるということである。各TV局は収入源であるCMスポンサーを完全に電通サイドに握られており、各局の意思に基づく番組編成など全くできないというのが、今の日本TV界の実態である。まったくもって”異常な状態”としかいいようがない。
実際、正月になると、各局の社長が雁首揃えて、汐留の電通本社に年始のご挨拶に訪れるという話を耳にしたことがある。本来、たかが「広告代理店」であれば立場は逆であるのが普通である。番組制作に関する代理店業務を受託する立場の電通が挨拶に伺うのが普通であろう。しかし、実態は大手TV局の社長が自ら訪問する程に電通の持つ力が強大であるということなのであろう。
このような”強大な利権”を有する電通が、政界・財界と結びつけばどんなことになるか、賢明な皆さんならもうお分かりであろう。電通と政界・財界の結びつきにより、我々日本国民は都合のいいように世論誘導され、糞バラエティ番組の洪水により、愚民(考えない国民)化されているのである。
昔、小生がまだ小中学生学生だった頃、近所にまったくTVを観ないというおじさんがおり、そのおじさんは周りの人間から「変な人」「変わり者」というレッテルを貼られ、奇異の目で見られていた。自分自身も親や周りの人間同様、「変わったおじさん」という目でその人物を見ていた。しかし、今になって思うに、このおじさんは、”TV=バカ製造箱”ということに気がついており、むしろ周囲の人間が”愚民”に見えていたことであろう。
最後に、未曾有の景気低迷によるスポンサーの激減で、各TV局の収入源であるCM収入が激減する中、電通をピラミッドの頂点とした”強大な利権構造”が今後どのように変化するのか見ものである。