ラカンはフロイトの仕事のうちその著作に信じられないほどの注意を払うだけでなく、その精神を引 き継いだ数少ない分析家のひとりである。そうした精神は一定の開放性を必要とする。それは分析以前の観念へと回帰する人たちの仕事に対する辛らつな批判と相入れないわけではない。そのような開放性を、ラカン自身の教育のスタイルと結びつけることができる。それは、正説を攻撃すること、自らが正説になりつつあるときこれを援すこと、自分自身がつくったものであっても自らの分野における主のシニフィアンに挑戦することである。教師としてのラカンのディスクールは、ヒステリー者のディスクールに分類されるように思われる。そのディスクールは決して権威を権威それ自体のために受け入れることはない。ラカンはフロイトを非常に真剣に取り上げたが、それにもかかわらず、注意深い熟慮の後で、ときおりフロイトに反論した。重要なのは、偏見にもとづいて前もって考えることなしに批判するのを避けるというだけでなく、すべてを説明するシステムを定式化するという強迫から逃れることである。
私たちの社会の持てる者と持たざる者の間のギャップは増大しているし、お金もかかっている。このギャップを減少させようとするなら、もっとしつけられるのでなく、クオリティ・スクールが必要だ。スクーリングの方法に直接触れることにしよう。この問題はもっと複雑である。別の協議会で、ある教師が、教師もしくはカウンセラーが、クラスで勉強をしなくなったために英語の成績で落第点をとっている、有能な十七歳の女子生徒にどのように対応したらよいか、私にロールプレイをしてくれないかと頼んだ。一人の教師が女子生徒の役を引き受け、私がカウンセラー役になった。「先生が私に会うようにと、あなたを送ってきたわけだね。先生はあなたが問題をかかえていると思っているようだけど、クラスで何が起こっているのですか」「落第点を取っているのです。がんばっているのですが、あのクラスで何が起こっているのかよく分からないのです。私は別に問題を起こしてはいません。でも単位は取れそうにないのです。落第点を取ったら卒業できません。卒業したいのですが、できそうにないのです」
素敵な感じ
素敵な感じ
「具体的に話して下さい。今起こっていることを、できるだけたくさん知る必要があります。何もかも話して下さい。そうすればかなり力になれます。彼との関係をどのように駄目にしているのですか」具体的であることは非常に重要である。人生は具体的である。「ダメにしてしまう」というような一般的な表現は、価値がない。重要なことは詳細なことだ。「私たちは良いスタートを切りました。彼とは、性行為も始めからうまくいきました。でも、私が要求を始めたのです。小さなことで彼を批判し始めたのです。彼の話によると、彼の職場の女性が彼の近くに住んでいて、仕事の後、家まで送ってくれるように頼んだというのです。仕事に来るときは誰かに乗せてもらえるのですが、家に帰るのに足がなかったのです。私、頭に来て、あなたは彼女と寝たいと思ってるのね、と彼を責めたのです。頭が変になっていたのです。彼女はほとんど彼の母親のような年齢なのです。でも、頭に来たときには、私は真剣だったのです。でも、何でも問題になり得るのです。突然彼の髭が気に食わなかったり、腕の刺青が嫌になったり、電話すると言った時間に電話をしてこなかったり。いくらでも挙げることができます。」