留学準備で語学学校に通っていた頃、まだ英語で喋る事に自信が無くて、今になって悔やまれる思い出。

バスに乗って駅まで向かうまでの出来事。
私の住んでる町は大きな工場がいくつかあって、外国人の雇用も多いとろろで、東南アジアの人をよく見かけます。フィリピン系と思われる女の人が一人でバスに乗っていて電話で話していました。
その人は私の後ろの席に座っていて、私の前には8歳くらいの女の子と両親の家族。
その家族のお父さんが、「うるせーな。バスのなかで電話してんじゃねぇ。」って大きい声でずっと繰り返していました。相手が日本語分からないのをいいことにけっこうな暴言。しかも娘が居る前で。
電話をしていた人の声も大きかったけど、きっとこういう事をきっかけに、マナーが悪い外国人とか、いろいろいわれるんだろうなー。と思いつつ、その女性に英語で話しかける勇気がない自分が情けなくなった思い出があります。
このお父さんにはほんとがっかりしました。こんな親じゃ子供もきっと良い影響受けて育たないんだろうな。などと、むしろ女の子の将来を心配してしまう私。
今だったら電話をしてる女性に英語で話しかけて、電話を止めさせて、お父さんのほうを睨めるのに。
ま、その女性が必ずしも私の言う事を聞くとも解らないんだけどねー。
あたしの貴重な電話の時間をじゃましないでとか言われそう(笑

いろいろ考えさせられる出来事でした。
アメリカでは一週間の大半が冷凍ピザにファストフードという食生活の人が結構居るようです。
学生の間はきっと、朝起きて学校に行く前にコーヒーと、マフィンやドーナッツなどの甘い物を食べ、お昼は学校のカフェでピザやサンドイッチ、夜はちょっと出かけてハンバーガーとポテトという生活がほとんどだと思います。
私も学生の時はこのサイクルに陥るのを防ぐのに大変でした。特に勉強をすればするほど、スケジュールが詰まって、次の授業までの数十分の間に自販機でおかしを買って空腹を凌くこともしばしばありました。勉強が忙しく、買い物や料理に時間が費やせないのが現状でした。
学生生活を抜け出して、今は好きに自炊が出来き、とても嬉しく充実しています。
しかし、アメリカ人の友達と一緒に買い物に行くと、えー。っという生活習慣を目撃する事が多いです。

私の友達は1歳半の赤ちゃんの居るお母さんで、子供にパスタと野菜をあげた後、「野菜食べるの飽きちゃったのねー」と言ってチョコレートクッキーをあげたり、自分が食べているファストフードのポテトをお昼代わりにあげたりしていました。「この子にはまだジュース飲ませた事無いのよー。」と言って、幼少時代の糖分の過剰摂取が後々どう影響して肥満を導くかという話をよくしています。
買い物で生ものは基本的に買わず、野菜は全て冷凍の物や缶詰でした。時々遊びに行く時に、ご飯作って待ってるから。っと言われるので行ってみると、チップスにディップがほとんど。全て混ぜれば良い物で、切る焼く茹でる炒めるは感謝祭の時以外にはしないのかな。っと疑問です。
ただ面倒だと思うのか、単に出来ないのか。。。
「あたし料理するの好きなのよー(か、料理上手なのよー。)」って言う人のほとんどが私より料理しない人だったり。
まだまだ分からないことばかりのアメリカ人の食生活でした。
アメリカのコメディアンのコナンさん、去年の6月から受け持っていた番組を降板させられた上にNBCとうまくいかなくて、けんか別れになり、先週の金曜日が、彼の番組の最後の放送となりました。

彼が受け持っていたトゥナイトショーは、昔から人気のあるショーで、10時半というゴールデンタイム枠の番組でした。ジェイ・レノからコナンに受け継がれたこの番組は、コメディアンとしては夢の舞台だとコナンは言っていました。 
日本で言えばタモリさんが、笑っていいとも!を誰かに継がせる感じですかね。

5年前から約束されていて、ようやく引き継いだ番組を、視聴率が思った程よくなかったという理由だけで7ヶ月で終わらせられるなんて不当だと、本人も相当怒ってました。それに加え、どうぞ。って引き渡したジェイ・レノがやっぱりまだ番組やりたいって戻ってくる話なので、2人の関係とNBCを巻き込んで、本人達も含めていろんな所でネタにされてた話題でした。

最終日、コナンさんは、番組を観ている若い人達に、自分のこういう状況も見ていても、シニカルにならないで欲しいと言っていました。一生懸命やれば何でも叶うんだと。
一生懸命やって、やっと手に入れた物を奪われた人からの言葉でした。現実的に彼には金銭的な心配はないだろうし、色んなコネもあるから、次の仕事には困らないと思います。でも、彼はこの状況をみた多くの人が個人のレベルで何かしらのモチベーションを失うのを感じていたのだと思います。
番組の最後は、若い音楽家をサポートする彼らしく、バンドメンバーとギターを弾いて、とても楽しい雰囲気で終わりました。

シニカルに物事をとらえるのは簡単です。特に今の社会で生きていたら、何か嬉しい事や、ラッキーなことがあっても、どこかで、100パーセント喜べない、自分に冷笑的な所があったり、周りに皮肉を言う人が居たりすると思います。むしろ、自分の気持ちを全てポジティブにするのって大変ですから。
シニカルになるのは後で少しでも落胆しないためのある種のディフェンスメカニズムのような気がします。ほーらね。うまい話ばかりじゃ無いんだから。って。
でも、今期待して、後でどのくらい落ち込むかばかり考えてたら望む事さえ出来ない気がします。

アメリカのテレビ界に翻弄されながらも、大衆に多くの笑いを振りまくコメディアンから貰ったアドバイスでした。
大学のシニア(4年目の年)の最後の学期に、哲学のクラスを2つ取りました。
専攻のアートマネージメントの中の教養部分に含まれる
Western Civilizations と Race and Gender のカテゴリーで、
Understanding Moral Problemsと Africana Philosophy というタイトルのクラスでした。

哲学のクラスを取るつもりは全くなかったものの、この学期を最後に卒業することを目標にしていたので、スケジュール上、理にかなっていたこの2つをとりました。
その他にも生物学とアート関係の法律のクラス、インターンと卒業論文を同時進行していたので、毎週だされる課題を確実にこなすことは不可能だったものの、 授業が終わっても(卒業後も含め)考えさせられることがとても多いクラスでした。

読み物が課題にでると、内容理解と、人物の背景、分析、比喩が主なクラスのペーパーやディスカッションになります。ただ、その時のクラスに話し合われたことや、ペーパーに書いた事が必ずしも答えではなく、考え続ければ、その先考えが変わる事もあるし、新しい発見もあります。その知るというプロセスが教養であり、哲学なのだと教わりました。
考え続ける事を辞めてはいけないと。
アメリカに来て5年目。今までのこと、これからのこと、いろいろ書いておきたくてブログを始めました。
自分なりに思った事、気づいた事をテーマごとに書いていきたいと思います(^O^)/