今回は、マン島TTレースについて書こうかな。

このレース初めて知ったのはNHKの”プロジェクトX”題名は忘れたけど、話はホンダによるレース参加だったはず。あの番組ではホンダにスポットを当てて編集してたから、このレースがどうゆうものかあまり詳しくは放送しなかったから気になって調べたのも、もう何年も前の話。

このレース、当初は都市間の公道を競っていて、後にマン島を周回するレースになった、名前にあるTTはツーリスト・トロフィーとゆう名の頭文字だ意味は”遠征する選手の戦利品”みたいな感じかな・・ちなみにツーリストはゴルフとかでツアーって表現するのと同じね。かつてのレース体系が都市間の公道レースだから場所が変わっていた事の名残でツーリストって言うらしい。その後当初は自動車で始まり一度は法の規制により中止になるがマン島の上層部に頼み込みなんとか開催。その後にバイク部門も誕生した。今回はバイク部門について書きます。今のバイクしか知らない人(僕も知らないが)には信じられないと思うがマン島TTレース第一回目1905年に優勝したバイクの平均時速は僅か60km。そして現代では電動バイクにしか付いてないペダルが付いていた。このペダル、何も自転車の様なフレームにエンジンを付けたから残したとかそんなんじゃない、実際に使っていたのだ。かつてのバイクだけに限らずエンジンが未成熟の時代である、つまり何を良いたいかといえば。トルクもなくパワーも無い、ましてやこのマン島TTレースは標高差300m近くアップダウンが激しいコースだ、アップダウンのアップの所なんてアップアッ・・・なんてことは言わないがかなり厳しいものがあった。そこを補うのが人力wでしたバイクだけじゃなく一台と一人の二人三脚でレースしてたらしいです。

そして現代のマン島TTレース、サーキットのレースしか見たこと無い人には下のリンク先を見て欲しい、思わずスゲーって喋っちゃうはず、コーナーを抜けてきたバイクがなんか変だなって思って見てると普通にウイリーしながらコーナーを抜けてくる。地面に前輪が付くとウイリーする前とし終わった後のタイヤの回転数の違いからバイクの挙動がかなりぶれながらも無理やり次のコーナーに突入するライダー達、なにより路面状況の悪さだ、パッと見でもかなり悪い、そんな中を第一回めの優勝したノートン社製のバイクが出した平均時速60キロを140キロも上回る平均時速208.3キロ瞬間的には軽く300キロを超えるバイク達。ちょっとここを見て欲しい。最初のシーンは衝撃的w途中のシーンはさらに衝撃的200キロオーバーでウイリーしながらコーナリングとか是非見てみて。

さっき書いた二人三脚で思い出した。このレース単車で走るレースだけじゃなくサイドカー部門にも注目して欲しい。
この部門見てもらえれば分かるが、二人で出場するのだがパッセンジャー(サイドカーに乗ってる方)の動きに注目して欲しい、この動き優に100キロオーバーの車体の上で行ってるとは信じられない・・。サイドカーのコーナリングスピードって実はF1よりも速いらしい。そんなサイドカー部門の鍵を握るのはパッセンジャーだパッセンジャーの役目は一言で言えば遠心力に打ち勝つ。だ最近は車体の外まであまり体を出さないが、昔はもう殆ど体が車体からはみ出してたwそして動きが速かった、これは当然だと思うけどバイクの加重移動を人間が動き回ってやってるんだから凄くつらいと思うそんなサイドカー部門実は一番好きだったりする、パッセンジャーの頭の位置わずか地面から数センチ、体感速度は高さに比例して早く感じるこれは、新幹線を近くで見るのと遠くから見るのでは速さが違って見えますよね?それと同じです。昔バイクに無○許で乗ってw峠に走りに入った時に感じたのはこっちも無○許で乗ってた車の高さから一気に低くなった車体から見る景色が後ろに流れてく速さ!150kmを出したときの周りの景色が後ろに流れてく速さって言ったら・・・もう乗りたくないと思った1○才の春ww

って話は変わったけどバイクですらビビリまくってる僕がこのサイドカー部門のパッセンジャーになったらもっともやってはいけない事だがまず間違いなく逃げる!昔に草レースの車の慣らし運転の時に後部座席(正確には後部座席があった場所付近)に乗った時まじめに死ぬ!って体が硬直したのを今だにトラウマとして覚えてます・・・けどっ!乗ってみたいwwこの気持ちは一生捨てられないんだろうな~(;^_^A

そんなマン島TTレースに一回でいいから見に行きたいと感じる今日この頃

行ったことがある人いないかな~・・
















マン島TT 
今日は指輪物語について、書こうかな。

指輪物語って書くよりもロードオブザリングって言ったほうが分かる人が多いかな?
2001年12月に”旅の仲間”から2003年12月に公開された”王の帰還”の全三部作の長編ファンタジー作品です。僕が書きたいのはこのロードオブザリングではなく、指輪物語の方です。
この作品は1950年代に執筆されてから半世紀もの間各国で親しまれています。本当かよ?って思う方もいるとは思うが直接親しんでいなくても間接的には親しまれてるって言っても過言じゃない!
何故なら、皆さんエルフって言うとどんなキャラクターを想像しますか?多分魔法に長けていて、寿命が長く耳が尖ってる美形が多いってイメージが浮かぶはず。かつてのエルフ像は一言でいえばピータパンのティンカーベルの様なキャラクターでした、しかし作者であるJRRトールキンはまったく新しいエルフ像を生み出し現代のエルフ像の大半を創造しました。創造といえばオークもJRRトールキンの創造したキャラクターです。森の守護者エントこれもこの作品が初見です。そしてなにより、物語の主人公であるフロドの種族ホビットもJRRトールキンの創造したキャラクターです。ま~こう書いていてこれってゲームしてなくちゃ親しまれてないんじゃないの?って意見は却下しますw
とま~皆様に親しまれて60年、この作品、今読んでもワクワクする。

いきなりになりますけど皆さん本を選ぶときってどうしてますか?僕の場合は本屋に行き、選ぶ・・・ま~当たり前ですよね。
けどたまに無意識に本に手が伸びて手にとってしまう事ってありません?。
そんな日は当たりの日ですw無意識に取った本で外れだった事は今まで一度も無い、逆にずっと後書きとかカバー紹介とかでじっくり選んで買った本は当たり外れ50:50位だ。
長々と書いたが、この指輪物語は無意識に選んだ本だった。ということは当たり・・いや大当たりだった!深く作りこまれた世界観、魅力的なキャラクター、、適度な情景の描写、最近の本だと情景を事細かに書く作家がいるがこの作品は必要最低限の事しか書かない、そのかわり頭の中で勝手に設定を作って情景を浮かべて読んでいると頭の中はまさに大スペクタル状態wwもう十年も前に読んだがその時に頭の中に浮かんだ情景(勝手に頭の中で製作)は今だに事細かく想い出せる。
そんな作品が映画化されると話を聞いたとき、少し・・いやすごく嫌だった、自分事だが勝手に頭の中で作った情景が映画化された時にまったく違う情景になっていたら嫌だったからだ。けどいざ映画化されると細かい所は嫌な所はあったが、大きくみればまさに頭の中の世界がそっくり出て来た気がした。そこでおかしいな~と思い(この発想がおかしいw)映画の監督について調べてみたら。なんて事は無い、僕以上に大スペクタルな監督だったwこの監督この作品を読んで感じた事を話していたが、全部の内容に思わず頷いちゃう位僕と似てたwだからこの映画は見てて心地良い感じがするから、かなり好きです。けど・・やっぱりゆっくりと自分のペースでコーヒー片手に読む書籍版には敵わないかなw

書籍版といえばこの作品、旅の仲間・二つの塔・王の帰還・だけじゃないんです。
他に
フロドの義父ビルボの若いころの冒険談を綴ったホビットの冒険。
この世界の神々の戦いを綴ったシルマリンの戦い
などが有名ですがこの他にもこの世界を描いた作品は沢山あります。
特にお勧めなのが指輪物語を読んだ人には”指輪物語の歴史”という本がおすすめ、作中に出て来るタバコのかなり詳しい説明や、イシルドゥアの系譜などなど、さらに指輪物語が好きになること間違いなしの作品ですので是非読んでみてください。

作品の内容を殆ど書かなかったのはたぶん内容はしってるだろうって事で書きませんでした・・・これは・・怠慢かなw 
第三回にしてカオスになってきたこのブログw

今回は僕が尊敬してやまない大作家の、僕を読書の世界に引き込んだ本について熱く語りたいと思ます。
たぶん、名前を聞いてもピンと来る人は少ないと思います。
この作品を執筆した方は、花の慶次(原題”世風靡風雲録”)を執筆した隆慶一郎という方です
この吉原御免状は隆氏の処女作にして直木賞候補に選ばれ、当時の時代小説の一大ブームを起こしました。
この吉原御免状という作品は本当に面白かったし未だに無性に読みたくなる。
内容としては宮元武蔵に山中で育てられた二天一流の達人松永誠一郎が自由の民”傀儡子”の一族が営む吉原に行く所から始まる。話は吉原の歴史から見返り柳のルーツなどを題材に話が進み、吉原誕生の際に神君・徳川家康から下された”吉原御免状”を巡る戦いに巻き込まれていく。
この作品の引き込まれる所は、作中の人物たちの性格がみなカッコいい!男として生まれたからにはこうありたいと強く思わせるセリフが沢山ある。そしてそれは男だけじゃない女も良い女が沢山出て来る、ここでいう良い女は綺麗とかじゃなく、芯が強い女達だ。
そして主人公の松永誠一郎のかっこよさには痺れを感じる。
強く、純粋でやさしくて、シャイな良い男振りにはたまらんと思ってしまうw、花の慶次の前田慶次も良い男だがこっちは違う意味で良い男だ。
そして、僕が考えるもう一人の主人公は幻斎という80になる爺さんだこの爺さんは本当に男を痺れさせる男の中の男だ。
僕ごときには隆氏の作品のすばらしさの1/10も伝えられない・・・
だから、読む機会があったら是非読んで欲しい。

水野十郎左衛門と松永誠一郎が揚屋の屋根で最高の女を袖に振り人生について語るシーンは
それでこそ男だろうそれこそ若さだろうと胸が熱くなったあ~もう一回読みたくなってきた~
イソフラボンのブログ

モンスター田嶋とエスクード



雲へ向かうレース(The Race to the Clouds)

これは別名で実際はパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムという名前のレースです。
知ってる人も多いと思いますがアメリカで2番目に古い歴史を持つレースであり毎年アメリカ独立記念日前後に行われます。
舞台はロッキー山脈の東部、標高4301Mのパイクスピーク山で行われます。標高2862M地点をスタートとし頂上までの約20kmを爆走しますw
初めて見たときは頭おかしいんじゃないか?って思いましたw
道は山沿いの急斜面、そのほとんどにガードレールなんて物は無い。
そんなコースを走るのは標高4301Mにもなる頂上付近でもパワーを得るために平地でのパワー出力約1000馬力オーバーのマシン、何より目を引くのは空気が薄くなっても十分なダウンフォースを稼ぐためのビッグエアロ、そんなレースに日本から参戦している日本人ドライバーがいる名前は”田嶋”、別名”モンスター田嶋”と呼ばれるこの男、車両もごついがこの男もごつい、モンスター田嶋はスズキスポーツ社社長にしてドライバーも兼務”パイクスピークといえば田嶋”と地元では呼ばれてるらしい。実際ドライバーとして参加して何度も優勝してます特に2006年から2011年の6年総合優勝時の年齢がすごい2006年次55歳2011年次61歳と驚異の活躍というしかない。
皆さん高山に登った経験はありますか?登山の注意すべきことに高山病があります日本最大の山、富士山では毎年何十人もの高山病患者が出てる、しかし富士山の高さ3776Mはまだレース中盤地点なのである距離約20km標高差1439Mを約10分で駆け抜けるこのレースの過酷さが分かるだろうか?
しかしこのレースの凄い所はそれだけではない、なんとバイク部門があることだ、直接大気に晒される彼らが挑戦している相手は正に自分自身なのである。なんかかっこいい事言っちゃったw。

ま~長々と喋りたい事を喋って余は満足じゃ・・・って言いたいが。まだ喋りたいことがある!
それはこのレースに電気自動車部門が出来ていたことだ、まさかこんな所までEV化の波がと思って調べてみると以外に納得する事が沢山あって逆にびっくり!

調べた結果はこんな感じ

・調べたモーター車の長所はまず空気の薄さにあまり左右されない出力。
・モーターはエンジンと違い回路が繋がった瞬間から最高出力が発揮できる。
・電気自動車には変速ギアが無いためステアリング操作に専念出来る。

軽く調べてもこれくらいの事が結果として出ました。
ま~だからと言って内燃機関に勝つのはまだ難しいレベルだとは思いますし個人的にはモーター車にエンジン車が負ける姿はあまり見たくは無いですが(泣)

という訳で今度こそ余は満足じゃ、たぶんアメリカ独立記念日の7月4日前後にテレビでもちょっとは取り上げられるはずだから見てくださいな