今から約30年前、僕はキリスト教会に行っていました。大阪大学歯学部で、受け口の矯正と手術をするために、多さkに出る必要があり、大阪南部の泉大津市の南大阪聖書協会というところで、僕を受け入れてくれたのです。そこで初めて聖書に出会いました。そこで言われたことは、聖書は世界一のベストセラーだから、よみなさい。神様を信じなさいと言われました。聖書を読みましたが、難しくてよくわかりませんでした。何やら、髪を信じないと、死んだあと、地獄の炎に焼かれ続けると書いてありました。僕は、とうとう信じることができませんでした。牧師のむさう子達3人は、フレンドリーでした。なぜ人事ることができたのか不思議でした。どうやら、生まれた時から、教会に行ってたからでした。僕はとうとう信じることができませんでした。あるとき、お金を落として、生活できなくなり、みんなに黙って出て行きました。なぜ出て行ったかというと、お金に困っても、絶対助けてくれない人たちだったからです。毎朝、神様には、しおらしくみんな祈っていました。良いことをすることを良しとしていました。しかしせいぜい、自分が、困らない程度です。そこでは、10分の1の献金を要求されましたが、貧乏人の、10分の一とかね持ちの10分の1は違います。金持ちは、献金しても、残りに余裕が、ものすごくあるのです。献金したものがちで、でかい顔ができるのです。お金持ちは、教会生活が楽しそうでした。貧乏人は、10分の1支払うと、残りが全然ありません。全く、貧乏が、ずっと続くのです。学校の先生や、エリートなどは、余裕な感じでした。僕は、そこを離れてから、仏教に出会いました。仏教の中には、神様というレベルがあります。仏様より、ランクが下になります。仏教の中に神様はいっぱいいますので、神様を信じても成立するのです。それに仏教は、献金が自由です。中には、新興宗教があって、たくさんお金を騙し取られるところもあります。オウム真理教みたいな。