こんにちは
ダンボです


看護助手編です




パパの脳出血後
入院、治療を終えて
退院した次の日

東日本大震災が起こりました



パパの病気は脳動静脈奇形
脳の静脈と動脈が塊で繋がって
いる先天性の病気

そのかたまりには
大量の血液が流れてます🩸



なので一度破れてしまうと
再出血しやすく1年間に5人に1人
の確率で出血してしまう


手術や血管内治療
放射線治療などでの治療が必要
となりました



パパは手術では無理な場所で
ガンマナイフという放射線治療にて
血管の閉塞する治療をしました


それを終えても
血管に血液が行かなくなるまで
早くても2年は必要


その間は
再出血の可能性があるので
ちゃんとは働けない


そして
パートだった私も震災により
今は必要ないと言われ


働けない状態となりました




保育園児を抱えて
2人とも働けなくなってしまった



なんとかしないと
なんとかしないと
なんとかしないと




ちょうど
家族ぐるみでお付き合いのある
友達より
(彼女は看護師さん)



精神科の急性期病棟で
看護助手さんを募集してるから
どう?


と紹介して頂き
すぐに面接に行き働ける事
となりました


精神科だし
急性期病棟という事だったけど
私にはとても合っていて


とても楽しく
仕事をする事ができ約4年弱
お世話になりました


とにかく毎日ガムシャラに働き
その間パパの血管が閉塞となり完治
となりました



その4年間
患者さんやそのご家族と関わり


人間とは
生と死とは生きるってなんだろう
死ぬってなんだろう


と深く考えるように


そこを支える看護師って
本当に素晴らしい仕事だと思い
看護師になりたいと


すでに43歳だったが
働きながら勉強をして
看護学校入学


3年間
家族に支えられ国家試験合格


看護師となりました




私は今働いていても
患者さんのご家族も大切にしたい
という気持ちが強いです


それは
患者の家族として始まったから



家族の気持ちが
痛いほど良くわかるのです


だから
患者さんとご家族両方を
支えていきたい




しかし実際働いてみると
年齢や自分の出来なさ加減が
浮き彫りに



どんどん
自信がなくなり
ついていけなくなります




次回は


身体的にも
精神的にもどん底に
編です