せ・せ・戦国豆知識ヾ(@°▽°@)ノ
いやぁ最近は夏なんだか秋なんだかわからん天気が続いてますなぁ…
どーもちゃっぴーですヾ(@°▽°@)ノ
みなさんお元気ー?僕は元気なんだか何なんだか…とりあえず友達がいません←
さてさて、前回は秀吉のことを書きましたが、今日は少し戻って織田信長のことを書こうかと…
それも本能寺の変についてね(°∀°)b
本能寺の変について一般ピーポーが知ってることなんて、明智光秀が信長裏切って、信長が「是非に及ばず」ってカッコ良く言うて自害することくらいでしょ?笑
いやぁ、これが実は面白い話かも知れないわけなんですよ奥さん←
徳川家康から家光にまで仕えた大久保忠教が書いた「三河物語」、この中で信長は謀反について「上之助が別心(謀反)か!」と言ったと伝えられているわけですよ。さて、この上之助とは一体誰のことなのか…光秀?いえいえ違うんですよ( ̄▽+ ̄*)
この上之助…なんと…な、なんと…てってれーんヾ(@°▽°@)ノ
織田信長が家督を譲った織田信忠のことなんだよねー( ̄Д ̄;;
なーんで明智ではなく自分の息子を疑ったのか…
これは本能寺の変の前日、公家の前で親子喧嘩を繰り広げたかららしい…
原因は改暦問題で、これは天皇のみがいじることを許されたものだったのかな?
とにかく一大名が口をだせるようなことではなく、
招待した40名程度の公家から反発を食らうのは信長も覚悟してたと思うのね。
それがまさか家督を譲った息子に反発されるとは、さすがの第六天魔王思ってなかっただろうとヽ(;´ω`)ノ
そんなこんなで信長はついうっかり自分の息子を疑ってしまったんだね~。
ちなみに、疑われた信忠は、自分は逃げられる位置にいたにもかかわらず、わずかな手勢で勇敢に明智軍と闘い討ち死にしたとさ。(´д`lll) 信忠が死に、信雄が家督を継いだことが織田家衰退の原因になったとも言われてますよね。
さて、今日のところはここまで!!
ではでは皆さん体調管理に気をつけてお過ごしください!!
じゃ…バイバイヽ(゜▽、゜)ノ
ちゃっぴー
Twitter @chappy0727
勝手にやります戦国豆知識ww
やぁやぁみなさんこんにちはヽ(゚◇゚ )ノ
ぼくドラえもんですヽ(゚◇゚ )ノ
どーもちゃっぴーですヽ(゚◇゚ )ノ
突然ですが…もう更新日無視して更新しちゃいます←え
だって…みんなもっと豆知識読みたいでしょ?←違
ね、もう細かいことは気にしないで始めるよー(^O^)/
さてさて今日は先日の大河ドラマで大往生を遂げた天下人豊臣秀吉について!!
華々しい活躍で彩られた人生に隠れた嘘をいくつか紹介しましょー(* ̄Oノ ̄*)
まず織田政権時代、まだ秀吉が木下藤吉郎と名乗ってた頃の話。
美濃の斎藤を滅ぼす拠点として藤吉郎が一夜で建てた「墨俣の一夜城」
これは秀吉を描いたドラマや本では必ずと言っていいほど出てくる重要なエピソードなんだけど、どーも怪しい( ̄∇ ̄+)
~理由~
①資料が「前野家古文書」のみである。
②敵からの襲撃を考慮し、夜、川に木材を流し突貫工事で建築した。ということがあげられるのね。
現実的に考えて、街灯もなんもない限られた環境の中で一夜にして、攻撃の要となる城を築城することなんてできるのかどーか( °д°)?
信じるか信じないかは、あなた次第(σ・∀・)σ
ハイ次!どんどんいくよー!!
秀吉が信長に仕えて間もないころ、冬の寒い日に信長が鷹狩りに行こうとした。
ここで秀吉がポンと登場!!信長にサッと草履を差し出す!!
信長が草履を履くと、なぜかその草履が温かい。
~以下妄想会話~
信長「おい猿!!貴様、まさかわしの草履を尻に敷いていたのではあるまいなぁヽ(`Д´)ノ?」
秀吉「違いますよぉ(TωT)外は寒いから懐に入れて温めてたんですよぉ(TωT)」
信長「え、マジか!なかなか機転がきくなお前。ちょっと加増するから草履取りはもう良いよ(*^ー^)ノ」
っていうこれも秀吉出世の有名な話だけど、これは江戸時代に成立した架空の話。
立身出世した秀吉は江戸庶民にとってヒーローで、創作話が多くなったらしい。
信じるか信じないかは、以下同文
最後は石田三成との出会いについて!!
大河ドラマ江で、三成自身が江に語った「三杯の茶」の話。
秀吉が鷹狩りに出かけた時、喉が渇いて立ち寄った寺でお茶を頼んだ。
寺の小僧は大きな茶碗にぬるめの茶を8分程度入れて持ってきた。
秀吉はグイっと一気飲みすると、まだ足りないとおかわりを頼む始末w
すると小僧は少し熱めの茶を茶碗の半分ほどに入れて持ってきた。
これもまた一気に飲むと、まーだ飲みたいとかぬかし始める秀吉さん。(;°皿°)
小僧は小さな茶碗にあっつーい茶を入れて差し出した。
秀吉はこのもてなしに感動して小僧を連れて帰った。その小僧が後の戦国一の官僚石田三成になるっていう有名な話(°∀°)b
秀吉の人を見る力と三成の頭の良さがわかる話だけど、これも後世の創作でしたー。
三成が秀吉に仕えたのは18歳の頃、場所は姫路だったらしい。
信じるか信じ以下同文
はい、今日はここまで!!!
豆知識になってるか、自信ないけど温かい目で見てくださいm(_ _ )m
じゃ、バイバイヽ(゜▽、゜)ノ
ちゃっぴー
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お待たせしました戦国豆知識
ほんとすみません。ほんとごめんなさい。
戦国豆知識結構サボりました…書いてたのが途中で消えるという事態に3回見舞われて…
すっかり萎えてましたヾ(@^▽^@)ノ←
いや結構ダメージ大きいんですよこれ笑
さてさてそんなことはどーでも良くて、今回は京極龍子についての後編でっせ!!
龍子と淀との関係を表したものとしては1598年に開催された「醍醐の花見」が有名ですよね~♪
開催されたのが1598年と、2度目の朝鮮出兵の翌年ですよ皆さん。結局無意味な戦いをさせられて恩賞なんかもらえないで疲弊してるときに花見なんです笑
なぜこんな書き方をするか…
この「醍醐の花見」、参加者は秀吉の配下等々1,300人にものぼるらしいんですよ(;´▽`A``
このイベントの半年後に秀吉は亡くなるんで、もうろく爺さんの最後のたわけと言ったところでしょうか…
あ、本題忘れてた←え
この「醍醐の花見」では秀吉が正室である北政所から始まり側室や前田利家正室に杯を振る舞ったんですが、それの順番で問題が起きた。
秀吉自ら杯を振る舞ったんですけど、1番は北政所→2番目をなんと京極龍子にしたんです!!!
これで怒ったのがそう淀殿!!自分は豊臣家の跡継ぎを産んだ立場だから怒るのも無理はない。
「2番目は世継ぎを産んだこの私だ!!」
「なんだとこの小娘!おどきなさい!!!」
「きーーーーーっ!なによこの女!!」
みたいな喧嘩が始まったところでまつが事を収めたようです。
結局喧嘩の顛末がどうなったのかはわからず仕舞い( ̄ー ̄;笑
そもそもなんでこんな喧嘩が起きたか
それは多分2人の「格」の違いが引き起こしたものだと考えられるわけです。
京極家は室町時代からの名門
淀は血筋は浅井と織田と普通だが豊臣の世継ぎを産んだ
微妙な問題でしょA=´、`=)ゞ?
どっちが上かと聞かれたらどっちとも言いづらい感じ…┐( ̄ヘ ̄)┌
しかしこの「格」の問題が喧嘩の原因だと考えると自然なんですわ。
まぁ日本の歴史なんて実際のところこんなもんなんでしょうけど
大河ドラマを見てると、この喧嘩も鈴木砂羽さん演じる京極龍子と宮沢りえさん演じる淀との軽妙な、冗談混じりのやりとりであってほしいなぁと願っちゃいますよね~♪
ではで今回はこのへんで!これからはちゃんと更新します(`・ω・´)ゞ
ちゃっぴー
Twitter @chappy0727
