「相手のため」って言うと

とても耳障りがいいですよね。

 

 

「相手のため」って言うと

なんだか自分が役に立てている

そんな感じになりますよね。

 

 

 

 

でもそれ全部

「自分のため」

ですよね?

 

 

 

 

 

相手のために何かをすることで

『役に立てている』と思ったり

『いいことしたな』と思うのは

自分が気分がいいだけですよね。

 

あるいは

「自分が怒られないように」とか

「後々自分が得するから」など

よくよく見たり聞いたりしていると

実は「自分のため」という人もいます。

 

 

 

 

 

「相手のため」と言っている人の中には

『心から「相手のため」と思っている』

という人もいますが

自分では気づいていないだけです笑

 

「自分のため」と言ってしまうと

自己中心的な感じがしてしまうので

「相手のため」という大義名分を立てて

胸を張って堂々と自己中心的になるんですね笑

 

 

 

 

僕としては

100%相手を思い相手のために何かをする

ということはできないと思っています。

 

 

なぜなら

相手を本気で100%思って何かをするなら

相手に嫌われることもあるでしょうし

自分が損することだってあります。

 

それだけじゃなくて

あなたが思う「相手のために」そのものが

実は「相手のためになっていない」

なんてこともあるわけです。

 

 

 

 

 

そもそも

相手のために何かをするのは

ただ単に

自分がそうしたいから

というだけです。

 

 

 

人のために生きた「マザー・テレサ」にしても

自分が『人を助けたい』という思いや

『これが自分の使命だ』という思いから

自分で選んだ行動ですよね。

つまり

『自分がそうしたいから』ということです。

 

 

 

 

 

「相手のため」と思うことが

実は「自分のため」だったと知ると

『相手を思うことをやめよう』と思ったり

『自分さえ良ければいい』というように

開き直ってしまう方もいますが

 

相手のことを思うということは

人生を生きていく上でとても大事なことで

相手を思うからこそがんばることができたり

相手を思うからこそ心豊かにいることができ

相手を思うからこそ幸せを感じられるのです。

 

 

 

ただ

「相手のため」と思って何かをすると

自分が相手にした行動に対する

反応を求めがちなんです。

 

相手が喜んでくれなかった

迷惑がられてしまった

自分はこうしたのに相手はやってくれない

自分の行為に気づいてくれてない

 

などなど

 

自分を犠牲にして相手に尽くしているのに

相手は自分が思ったように反応してくれない

というただの押し付けになります。

 

 

自分が犠牲になっているのは

ただ単に

『自分が犠牲になりたい』

と思っているからなんですね。

 

 

 

 

 

自分が「相手のために」したことは

自分が「そうしたかったから」だとわかれば

あなたがしたことを相手がどう反応しようが

別に関係ないのです。

 

 

 

もしかしたら

あなたが相手を思ってやった行動は

自己満足になることもあるでしょう。

 

あなたが「相手のため」と思ってやったことに

例え相手が気づかなくても

逆に反感をかってしまったとしても

『相手のためになっているならそれでいい』と

自分が相手の役に立てたことを

自分で認めてあげていればいいと思います。

 

 

 

 

相手から直接感謝の言葉がなかったとしても

あなたが相手を思って行動したという事実は

確実にあなたの人生において

大きな価値となるはずです。

 

 

 

 

「誰かのためにすること」は

「自分がより幸せになるため」

というように

自分が自己中心的になることで

相手も幸せになるような

そんな関係が築けるといいですね。

 

 

 

 

鳥居剛志(ゴウ)

 

 

 

 

僕が今している「誰かのための行動」は

「家事」です笑

奥さんよりも自営業で働いている僕の方が

昼間時間が取れるので家事をしています。

もちろん

「奥さんのために」という気持ちはありますが

家事をしていて不満に思うことはありません。

それは自分自身が

『キレイな部屋がいい』と思うから。

自分が好きでやっているので

『家事手伝って!』と

奥さんに求めることはないですね笑

やってくれたら嬉しいと思うくらいです。

 

あなたの「誰かのため」の行動はなんですか?

相手のためにやっているのに不満が溜まる方

一度ご相談ください。

本当は「自分のためかもしれない」を

僕と一緒に向き合ってみましょう。

ご質問もお待ちしています。