今日のブログは、私がこの歳になるまで知らなかった母の生い立ちのことなどで、
今まで知らなかったことにひたすら驚きで、ただ自分の中の整理で綴っているだけなので、
ご興味のある方はどうぞお付き合いください。
私は18歳で実家を出て上京して専門学校へ行き、
専門学校生の夏休みの時に
親に反対されないように自分でアルバイトしてお金を貯めてロンドンへ1ヶ月行き、
その後帰ってからもロンドン熱が冷めやらずに、親に1年間ロンドンで英語の勉強させてくださいとお願いしてロンドンへ旅立ったまま帰らず、
24年前に母は他界してしまったので、
母親と大人な話をする機会もなかったと言えばなかったのですが、
母方の祖父が大学教授だったことは知っているんですが、
何を教えていたのかなどは聞いたことがありませんでした。
母は九州から大学の時に上京して、
その時父に出会い猛烈にアタックされて二十歳そこらで結婚。
誰も知らないど田舎の東北へ嫁いだのでした。
母側の祖父母も母の姉弟たちも40年以上前くらいに皆千葉へ移住。
それが、近年母の姉である伯母と私は
帰国するたびに伯母の家へ泊まりに行くし、
メールも毎月交換、今はzoomもするくらい近い仲になりました。
数日前に祖父の話になり、私が中学の時に祖父が私に機械編みでセーターを編んでくれた話を伯母にすると、「おじいちゃんは繊維の研究専門だったからね。織物や組糸もやったりしていたのよ。」と言うではないの。
「え?初耳。」
「おじいちゃんは蚕の食べる植物の研究をしていたのよ。大学教授になる前は生糸の仕事をしていたからね。さつまのおばあちゃんのおうちが製糸工場やっていたは知っているよね?」
「は?母は私には何も話してくれてないんですが。」
「ひいおじいちゃんが製糸工場を始めて、生糸を輸出していて、おじいちゃんを婿に迎えて継いだんだけれど、戦争で輸出が出来なくなって生産を止めることになったのよ。」
私が布地や糸紡ぎにどうしようもなく興味が沸いたのはこういうことだったのかなと驚いています。
加えて、自分が母親のことを何も知らなかったことにも結構なショック。
そういう私も自分の子ども達に自分の子ども時代のことをどれくらい話しているかは定かでない。
話したことを忘れることもあれば、
小さい頃のことで記憶にないのか、
それでもやっぱり、
人間どこかでご先祖様に繋がっているのかな、
と温かい気持ちにもなりました。
繊維好きだけではなく、ものづくり一般に興味あるので
キャンドル・メーキングもしてみたよ