千住大橋を南に下ると、「すさのお神社」という神社がある(荒川区南千住)。
「すさのお」を祭った神社は全国に数多くあるが、この「すさのお」神社には古い芭蕉句碑である「奥の細道矢立初めの碑」がある。
先に紹介した足立区の建てた「おくのほそ道矢立初めの(地)碑」(足立区立大橋公園内 足立区千住橋戸町)を紹介したが、どうやら足立区と荒川区は「矢立初めの地」であることを互いに主張している(足立区荒川区矢立初めの地論争)ようで、それが「おくのほそみち やたてはじめのひ」の併存という形で表れている。
こちら荒川区の碑は、江戸時代後期に建てられた「由緒正しい」碑(いしぶみ)である。ただ、碑文やその下に描かれた座像は長年の劣化で判読不能になったため平成7年に刻みなおされている。
碑が建てられたのは、江戸幕府治世下のいわゆる「大御所時代」。この時期は、財政的には放漫財政が行われワイロなども横行したというが、江戸の町には町人文化の華が咲いた。社会の教科書にもある「化政文化」の時代のものになる。
当時の千住宿には多くの文人が集っており、中でも「すさのお神社」はそうした文人のサロンの役割を負っていたようだ。
碑(いしぶみ)は文政3年(1820年)10月の「芭蕉忌」に建てられ、碑文は江戸の町随一の儒学者で書家でもあった亀田鵬斎(ほうさい)が、芭蕉の座像は文人画の重鎮の弟子である建部巣兆(そうちょう)がそれぞれ担当した。
つまりこの碑は、当時の異なったジャンルのアーティストによるコラボ作品であると言える。
足立区と荒川区の矢立初めの地論争のことは「すさのお」神社境内の立て札に触れられている。
荒川区は南千住駅の前(南千住駅西口ロータリー内)に句を詠んでいる芭蕉のブロンズ像を設置しており、多くの人に南千住(荒川区)が芭蕉と結びつきの強い地域であることをアピールしている。
荒川区が開いた「奥の細道サミット」を2015年(平成27年)を開いた際に建立されたとある。
区が建てた「周辺立ち寄りスポット」の掲示板を見ると、南千住駅から線所大橋に至る周辺地図が書かれており、この芭蕉像や「すさのお」神社の矢立初めの句碑の位置は示されているが、隅田川をはさんで北側にある足立区の句碑については省略してある。
江戸時代当時の「おおはし」(現在の千住大橋)が隅田川をはさんだ、その両岸が現在では別々の行政区になっているがために起こった論争でもあるが、確たる証拠もないので、このまま論争は続くんだろうな。でも、それでいいのかも(商売もからんでいるし)。



