短編小説 「憎しみの果てに」 第1話 | 日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。

短編小説 「憎しみの果てに」 第1話

朝、教室に入ると、わたしの机の上に花が置かれていた。
教室を見回すと、数人の生徒が笑っている。
わたしはそのまま席に着くと、花瓶に生けられた白い菊の花を、花瓶ごと床に置いた。

「おい、何してんだよ」

わたしは弾かれた様に、声の方に視線を送った。
横山明夫が笑いながら花瓶を掴みあげると、私の机の上に乱暴に叩き付ける。
同時に花瓶から水が吹き上がって、机を濡らした。

「お前のために、わざわざ買ってきてやったんだから、ちゃんと眺めてろよ」


高校に通い始めてから、半年たっていた。
最初は、上履きをゴミ箱に捨てられた。
次には画鋲だった。
それと同時に、女生徒のほとんどが私を無視し始めた。
体育の授業から戻ると、制服が切り裂かれていたこともあった。
夏の季節には、プールの後、下着が無くなった。
女同士の苛めは、とても陰湿で性質が悪いものだった。
何故、苛められるのかよくわからなかった。
地味な方であると、自分では思っていた。
目立つことと言えば、成績が上位だということぐらいのものだった。
目立っても、目立たなくても苛められる。
そんなものかもしれないと、時々考えたりもした。


わたしは黙って、机の上に広がった水を眺めていた。
マジックで馬鹿と書かれた文字が、こぼれた水で滲んで見える。

「おい」

そう言いながら、明夫がわたしを覗き込んで来る。

「ちょっとくらい成績がいいからって、いい気になってんだろうお前。いつもそうやってすかしやがってよ」

腕力だけの男。
その男が何故、臭い息をわたしに吹きかけながら、こんなことを言っているのだろうか。
明夫が苛めに参加したのは、今日が初めてだった。

「おい。聞いてんのかよ」

机の上の花瓶が水を撒き散らせながら回転し、わたしの方へ飛んできた。
胸に当たって、菊の花びらと水が四散して、制服を汚した。
それでも、わたしは机の上の落書きを見続けていた。

お前。そう言いながら明夫が、わたしの髪を摘んで顔を上げさせようとした。
そのとき初めて、微かな怒りを覚えた。
気が付くと、明夫の手を払いのけていた。

「なんだよ、その目はよ」

明夫を睨み付けていた。
明夫の瞳の中に、有るか無きかの狼狽の色が過ぎる。


わたしは、ふと我に帰った。



人を憎んではいけないんだよ。絶対にね。

叔母の口癖を思い出した。
事あるごとに、言い聞かされていた言葉だった。
小学3年の秋、両親を一度に亡くした私を引き取って、育ててくれたのは叔母だった。
叩かれても、怒っちゃいけないの。
いつも、理不尽とも思えることを叔母に言われ続けていた私は、一度だけ叔母にそう聞いたのだった。
そうよ。絶対にね。
そのときの叔母の眼は、暗く沈んでいて、とても冷たかった。
あの時の叔母の眼は、今も忘れることができない。



「明夫君、なんてひどい事するのよ」

生徒会長の、吉田加奈子だった。

「大丈夫?麻生さん」

加奈子が厚い眼鏡越しにわたしを覗き込みながら、そっと肩に手をかけてきた。
堪えていたものが急に溢れ出してきて、私は両手で顔を覆って嗚咽した。