女性ばかりの中で過ごす鬱々とした日々が続きました。女性は周りにたくさんいますがもちろん全然しゃべることができません。昼間は男性は外出しますので私はたまにかかってくる取引先との電話以外は殆どしゃべることはなく孤独な状態が続いたのです。また派遣社員からの仕事の引き継ぎも女性に言われるまま沢山受けてしまいましたので、とても忙しくなりました。女性達は定時で帰るのに、私だけは多くの仕事を抱え、また短時間の引き継ぎでは経理的におかしい処理も出てきたのですが、それらの尻ぬぐいも私が一手に引き受けなければならなくなったのです。私は一切関わっていない仕事なのにその尻ぬぐいを全てやることになって経理から詰め寄られることも度々だったのですが、何せ初めて関わる仕事なので解らないことも多く、女性に相談することもできない状態。このようなどうすればいいか解らない、膨大な仕事量、孤独とイジメの中で私は次第に心身が病んでいきました。毎日9時前から23時まで会社に居て睡眠時間も少なく、加えて処理仕切れないので毎週土曜日も出勤していました。

 

以前も書きましたが、長時間労働でも自ら主体的にやりがいを持って行う場合は心身を崩すことはあまりないのではないでしょうか。そこには充実感や達成感、評価されるなど良い心の状態があるからです。ところが私の場合は同じ長時間労働でも周りとの人間関係が希薄で最悪、人の尻ぬぐいの仕事、業務といういわば男性が売り上げた数字の処理という全く評価されない仕事など、心に喜びが全くない状態だったので次第に鬱状態に陥っていったのです。当時はこんなことも考えていました。地方へ転勤せずに留まって、過去の多くの処理間違いを一手に引き受けているヒーローのはずなのになぜ認めてくれないのか、もし私が地方転勤していたら一体誰がこのような大変な仕事をやるのか、もっと私に感謝してほしい。しかし当時を振り返ってみると私はこのような心の声を発することができなかったのですから、解ってはくれないのは当然です。これもそれまでの会社生活で自分のアピールをしてこなかった、する方法を模索してこなかったツケが今来ているのだと猛反省したのです。やはり自分の欠点は怠けて放置していると後で最悪の結果としてそれを思い知らされるというのはあると思っています。いろんなことが巡り巡って一箇所に集まってきてそれに遭遇することにより思い知らされるのです。人はその人生に於いて成長しなければならないという言葉を読んだことがあります。自ら成長することを拒んだ(怠けて放置した)場合には、神様から強制的に成長させられるのでしょうか。表から見える身体の成長は人生の早期で終わりますが、目に見えない心(脳、精神)の成長はそれ以降もしていかなければならないのです。生まれてから死ぬ時までにどれだけ心が成長しているか、天はそれを見ているのかもしれません。