Guy de Maupassant ”Sur l’eau”:モーパッサン『水の上』
Guy de Maupassant ”Sur l’eau”:モーパッサン『水の上』
1881年、短編集『メゾン・テリエ』 La Maison Tellier に収録された短編小説。モーパッサンの最も初期の作品の一つ。
あらすじ
ある晩、主人公の男がボートに乗って川に漕ぎ出していた。彼は、しばらくは夜の川の水音や周りの様子を楽しんでいたが、不意にあたりの異常な沈黙に気づく。男は不安に駆られ、動揺するが、なんとか陸地に戻ろうとする。しかし、ボートの錨は持ち上がらず動くことができなくなっていた。男は恐怖に駆られたがなす術はない。数時間の間じっとしていると夜の闇が薄くなり、男は別の釣り人に発見された。彼らがボートの錨が動かないことの原因を確かめてみると、錨には首に石をくくり付けた老婆が絡みついていた。
○モーパッサンの水へのこだわり
Pour lui, c'est la chose mystérieuse, profonde, inconnue, le pays des mirages et des fantasmagories, où l'on voit, la nuit, des choses qui ne sont pas, où l'on entend des bruits que l'on ne connaît point, où l'on tremble sans savoir pourquoi, comme en traversant un cimetière : et c'est en effet le plus sinistre des cimetières, celui où l'on n'a point de tombeau. (p.39)
釣り人にとって川は「謎めいて、奥深く未知なるもので、幻影や幻想の国であって、そこでは夜には実在しないものが見え、聞いたこともない音が聞こえ、何故とも分からずに震え、まるで墓場を通っている」ようであり、「実際に、それは最も不吉な墓場、棺を持たない墓場」だと記述されている。
→モーパッサンは「水」に固執した作家の一人である。川(=水)に対する言及により、幻想を喚起させる一つの舞台として捉えていることがわかる。
○幻想怪奇の箇所
Je me figurais qu'on essayait de monter dans ma barque que je ne pouvais plus distinguer, et que la rivière, cachée par ce brouillard opaque, devait être pleine d'être étranges qui nageaient autour de moi. (p.43)
「奇妙な白さの綿に腰まで埋まったようになり、そして幻想的な想像がやって来た」と言って主人公は次のように述懐する。「俺は思い描いた。見分けることもできない俺の舟に、誰かが上がって来ようとしている。そしてこの不透明な靄に隠された川は、周囲を泳ぐ奇怪な生き物で一杯なのに違いない。」
主人公の男は、「白い靄に包まれ、とても濃い霧が水面を低く這う」中、自分の足も船も見えないで、「月光に蒼ざめた平原と、天に昇る黒い染みだけが見え」る中にいる。霧や靄といった視界をあいまいにする小道具を用い、思考も不安定になる様子が示されている。
最後の謎の一文
« C’était le cadavre d’une vieille femme qui avait une grosse pierre au cou. »(p.47)
「それは老婆の遺体で、首に大きな石を結びつけていた。」
ユキちゃん(以下Y)、マイちゃん(以下M)、オオモリ(以下O)
Y:出だしはとてものどかだと思ったが、終りでどんでん返しがあった。現実と幻想が結び付いている。また、「水」が欠かせないモチーフだと思う。
M:p.39であらゆる水ではなく「川」に特化していることに注目したい。特に川の水への恐怖が描かれている。川や海の波を人間の感情に当てはめることができると思う。人間の感情の起伏に例えると、海は作品中「唸る、叫ぶ」といった言葉で表現され、逆に川は静かである。
O:海は動的、川は静的な感じで表現されている。
M:海には激しい感情があるが、川は静かだけれど、感情の起伏がなく、何を考えているのかわからない怖さがある。静かであるがゆえに、心も読めない。
Y:p.38の箇所も感情と関係していると思う。
"C'était un vieux canotier, mais un canotier enragé, toujours près de l'eau, toujours sur l'eau, toujours dans l'eau. "
水と感情が関係している。感情も水のように知覚できないが存在しているのではないか。
M:水の関係で考えると、作品中の「ラム酒」も面白いと思う。これもアルコールの入った水で「水」の一種だと思う。作品中、三度主人公が酒を飲むシーンがある。
p.43…船の上で動揺していた主人公はラム酒を飲むことで冷静な判断をする。
p.44…再び恐怖を感じていたがラムを飲むことで、それまでの恐慌状態から理性を取り戻す。
p.46…不安感にさいなまれながらもラム酒を飲むと五感が冴えわたる。
これらは、水が幻想から現実へと引き戻す役割をしているのではないかと思う。
Y:理性を失わせるはずの飲み物が逆に感覚を引き戻しているところに面白さがあると思う。
また、三つの疑問点について考えた。
疑問点
○なぜ、船に老婆(首に石を付けた)が錨に絡みついていたのか。
○主人公の男は、それでも船乗りであることをやめないのはどうしてか。
○モーパッサン自身も舟漕ぎをするのを好んでいたが、この体験は彼自身の経験によるものなのか。
M:石をつけた老婆ということから、誰かに付けられたということも考えられる。
O:自殺か他殺かということか。
M:そう。自殺ではないかと自分は思う。殺す意思を持って何者かが捨てるならわざわざ川でなくてもいいような気がする。老婆の方に死のうという強い決意があって入水自殺したのでは。
Y:私も自分で命を絶ったのではないかと思う。話の内容からしても、自殺した人間の方が幻想怪奇小説において怖さが出ていると思う。
O:私は殺されたのではないかと思う。「俺は思い描いた。見分けることもできない俺の舟に、誰かが上がって来ようとしている。」という箇所からも何らかのものがひきずりこもう、道ずれにしようとしているのではないか。それは殺された老婆がその無念や恨みで、主人公を一緒に連れて行こうとしたとも考えられる。
Y:またそのような経験をした主人公は何故、川での船乗りをやめなかったのだろうか。トラウマになってもおかしくないと思う。
M:ただ、先ほどYも言っていたように、生まれたのも川であり、死ぬのも川と言われるぐらいのねっからの船乗りで、また陸の人々と自分たち船乗りとは別のものと考えていると思われる。
Y確かに、地上と川の上とを違ったものとして考えていると思う。
O:p.39で「釣り人にとって地面は限られているが、影の中、月も無い時には川は無限だ。」(La terre est bornée pour le pêcheur, et dans l'ombre, quand il n'y a pas de lune, la rivière est illimitée. Un marin n'éprouve point la même chose pour la mer. )
という箇所がある。bornéeという語で境界線が出てきており、川と地上との境目があると考えられる。
Y:この境目は幻想と現実の境をも示すものの一つではないだろうか。
M:この作品はモーパッサン自身の実体験がもとにされているのではないだろうか。おそらくすべてではないにしろ、一部は自らの経験だと思う。彼は、恐怖心を描くことによってその体験を乗り越えようとしたのでは。
O:モーパッサンの幻想怪奇短編集において、いくつか「狂人」や「オルラ」などの狂ったかに見える人物による日記形式の物語が収録されているが、彼らの「書く」という行為もその恐怖からの克服という意味があるかもしれない。ひいてはモーパッサン自身もそうだったのだと思う。晩年彼自身精神を患ってしまった。
M:幻想はまた、「夜」とのつながりが強いと感じた。
Y:この作品の主人公自体やや浮世離れしていると思う。水の上で生きる人=別世界の人といった感じで描かれている。
O:そのような川に慣れきっているはずの人物が水に恐怖を覚えるのはどこか不思議な感じがする。
M:普段から慣れている船乗りですら恐怖するのだから、地上に住む人々が恐怖に陥るのはもっともだと思う。
今回の本:Guy de Maupassant, "Le Horla Et Autres Recits Fantastiques", Livre de Poche (1984/1/4)
★次回はモーパッサンの短編"L'Auberge"を読む。
1881年、短編集『メゾン・テリエ』 La Maison Tellier に収録された短編小説。モーパッサンの最も初期の作品の一つ。
あらすじ
ある晩、主人公の男がボートに乗って川に漕ぎ出していた。彼は、しばらくは夜の川の水音や周りの様子を楽しんでいたが、不意にあたりの異常な沈黙に気づく。男は不安に駆られ、動揺するが、なんとか陸地に戻ろうとする。しかし、ボートの錨は持ち上がらず動くことができなくなっていた。男は恐怖に駆られたがなす術はない。数時間の間じっとしていると夜の闇が薄くなり、男は別の釣り人に発見された。彼らがボートの錨が動かないことの原因を確かめてみると、錨には首に石をくくり付けた老婆が絡みついていた。
○モーパッサンの水へのこだわり
Pour lui, c'est la chose mystérieuse, profonde, inconnue, le pays des mirages et des fantasmagories, où l'on voit, la nuit, des choses qui ne sont pas, où l'on entend des bruits que l'on ne connaît point, où l'on tremble sans savoir pourquoi, comme en traversant un cimetière : et c'est en effet le plus sinistre des cimetières, celui où l'on n'a point de tombeau. (p.39)
釣り人にとって川は「謎めいて、奥深く未知なるもので、幻影や幻想の国であって、そこでは夜には実在しないものが見え、聞いたこともない音が聞こえ、何故とも分からずに震え、まるで墓場を通っている」ようであり、「実際に、それは最も不吉な墓場、棺を持たない墓場」だと記述されている。
→モーパッサンは「水」に固執した作家の一人である。川(=水)に対する言及により、幻想を喚起させる一つの舞台として捉えていることがわかる。
○幻想怪奇の箇所
Je me figurais qu'on essayait de monter dans ma barque que je ne pouvais plus distinguer, et que la rivière, cachée par ce brouillard opaque, devait être pleine d'être étranges qui nageaient autour de moi. (p.43)
「奇妙な白さの綿に腰まで埋まったようになり、そして幻想的な想像がやって来た」と言って主人公は次のように述懐する。「俺は思い描いた。見分けることもできない俺の舟に、誰かが上がって来ようとしている。そしてこの不透明な靄に隠された川は、周囲を泳ぐ奇怪な生き物で一杯なのに違いない。」
主人公の男は、「白い靄に包まれ、とても濃い霧が水面を低く這う」中、自分の足も船も見えないで、「月光に蒼ざめた平原と、天に昇る黒い染みだけが見え」る中にいる。霧や靄といった視界をあいまいにする小道具を用い、思考も不安定になる様子が示されている。
最後の謎の一文
« C’était le cadavre d’une vieille femme qui avait une grosse pierre au cou. »(p.47)
「それは老婆の遺体で、首に大きな石を結びつけていた。」
ユキちゃん(以下Y)、マイちゃん(以下M)、オオモリ(以下O)
Y:出だしはとてものどかだと思ったが、終りでどんでん返しがあった。現実と幻想が結び付いている。また、「水」が欠かせないモチーフだと思う。
M:p.39であらゆる水ではなく「川」に特化していることに注目したい。特に川の水への恐怖が描かれている。川や海の波を人間の感情に当てはめることができると思う。人間の感情の起伏に例えると、海は作品中「唸る、叫ぶ」といった言葉で表現され、逆に川は静かである。
O:海は動的、川は静的な感じで表現されている。
M:海には激しい感情があるが、川は静かだけれど、感情の起伏がなく、何を考えているのかわからない怖さがある。静かであるがゆえに、心も読めない。
Y:p.38の箇所も感情と関係していると思う。
"C'était un vieux canotier, mais un canotier enragé, toujours près de l'eau, toujours sur l'eau, toujours dans l'eau. "
水と感情が関係している。感情も水のように知覚できないが存在しているのではないか。
M:水の関係で考えると、作品中の「ラム酒」も面白いと思う。これもアルコールの入った水で「水」の一種だと思う。作品中、三度主人公が酒を飲むシーンがある。
p.43…船の上で動揺していた主人公はラム酒を飲むことで冷静な判断をする。
p.44…再び恐怖を感じていたがラムを飲むことで、それまでの恐慌状態から理性を取り戻す。
p.46…不安感にさいなまれながらもラム酒を飲むと五感が冴えわたる。
これらは、水が幻想から現実へと引き戻す役割をしているのではないかと思う。
Y:理性を失わせるはずの飲み物が逆に感覚を引き戻しているところに面白さがあると思う。
また、三つの疑問点について考えた。
疑問点
○なぜ、船に老婆(首に石を付けた)が錨に絡みついていたのか。
○主人公の男は、それでも船乗りであることをやめないのはどうしてか。
○モーパッサン自身も舟漕ぎをするのを好んでいたが、この体験は彼自身の経験によるものなのか。
M:石をつけた老婆ということから、誰かに付けられたということも考えられる。
O:自殺か他殺かということか。
M:そう。自殺ではないかと自分は思う。殺す意思を持って何者かが捨てるならわざわざ川でなくてもいいような気がする。老婆の方に死のうという強い決意があって入水自殺したのでは。
Y:私も自分で命を絶ったのではないかと思う。話の内容からしても、自殺した人間の方が幻想怪奇小説において怖さが出ていると思う。
O:私は殺されたのではないかと思う。「俺は思い描いた。見分けることもできない俺の舟に、誰かが上がって来ようとしている。」という箇所からも何らかのものがひきずりこもう、道ずれにしようとしているのではないか。それは殺された老婆がその無念や恨みで、主人公を一緒に連れて行こうとしたとも考えられる。
Y:またそのような経験をした主人公は何故、川での船乗りをやめなかったのだろうか。トラウマになってもおかしくないと思う。
M:ただ、先ほどYも言っていたように、生まれたのも川であり、死ぬのも川と言われるぐらいのねっからの船乗りで、また陸の人々と自分たち船乗りとは別のものと考えていると思われる。
Y確かに、地上と川の上とを違ったものとして考えていると思う。
O:p.39で「釣り人にとって地面は限られているが、影の中、月も無い時には川は無限だ。」(La terre est bornée pour le pêcheur, et dans l'ombre, quand il n'y a pas de lune, la rivière est illimitée. Un marin n'éprouve point la même chose pour la mer. )
という箇所がある。bornéeという語で境界線が出てきており、川と地上との境目があると考えられる。
Y:この境目は幻想と現実の境をも示すものの一つではないだろうか。
M:この作品はモーパッサン自身の実体験がもとにされているのではないだろうか。おそらくすべてではないにしろ、一部は自らの経験だと思う。彼は、恐怖心を描くことによってその体験を乗り越えようとしたのでは。
O:モーパッサンの幻想怪奇短編集において、いくつか「狂人」や「オルラ」などの狂ったかに見える人物による日記形式の物語が収録されているが、彼らの「書く」という行為もその恐怖からの克服という意味があるかもしれない。ひいてはモーパッサン自身もそうだったのだと思う。晩年彼自身精神を患ってしまった。
M:幻想はまた、「夜」とのつながりが強いと感じた。
Y:この作品の主人公自体やや浮世離れしていると思う。水の上で生きる人=別世界の人といった感じで描かれている。
O:そのような川に慣れきっているはずの人物が水に恐怖を覚えるのはどこか不思議な感じがする。
M:普段から慣れている船乗りですら恐怖するのだから、地上に住む人々が恐怖に陥るのはもっともだと思う。
今回の本:Guy de Maupassant, "Le Horla Et Autres Recits Fantastiques", Livre de Poche (1984/1/4)
★次回はモーパッサンの短編"L'Auberge"を読む。
ここ最近 à Paris

フランスに来て10月になっていた。いつの間にか、1か月が経過。少し肌寒くなってきた。
授業も始まり、にもかかわらず、あまり忙しくもない日々…。どちらかというと、お出かけに忙しい日々だったりする。

現在行ったところは、
◍ルーブル美術館(ピアノの演奏会を聴きに行った)
◍オルセー美術館(まさかの館内撮影禁止になっていた)
◍マルモッタン美術館(モネの睡蓮の絵などがある。ピアノと弦楽の演奏を聴きに)
◍パリ3大学(行ってなかったらそれこそヤバい)
◍パリ国際大学内の日本館、イギリス館およびスペイン館学食
◍マドレーヌ寺院(日本の書道の展示会へ)
◍ルーアン(観光。ルーアン美術館は素敵)
くらいでしょうか。

今週末には、寮の企画で近くの村や、これまた近くの地方であるヴィルジニーに行ってみたり、ミュージカルを見に行ったりしたいと考えております。一人だったらこんなにできないよ!なかなかに心強い友人がいたりします。
クスクスの美味しい店へ行ったり、Les Halles(レ・アール)というショッピング街のようなとこへ行ったり。オペラという場所の近くには日本食や食材の店があるそうだとか。

フランスの大学では(おそらく)10月の最後の週は秋休み。なのでここでの計画も立てねば…です。勉強ももちろんしないといけないけれど、それ以外の時間も充実させることを考えなければならない、気がする。

催し物も結構多い。歓迎パーティー何回やってるんだ…(笑)的な。全部など参加してはいられません。というか、平日にやって次の日授業とか挑戦的すぎやしまいか。
まぁ、そんなです。FNACではコンサートのチケットやミュージカルのチケットの購入が可能。なんと便利な。そしてFNACで本、DVD、CDなどを買いあさるのがここ最近続いている。いとをかし。
こんな感じである。
…!
あ、あとおまけ。この間日本の漫画などを紹介するJapan Expo(ジャパンエクスポ)の小規模版みたいなのに行ってみた。フランスの皆様がコスプレ…そして堂々として似合っているという…。なかなかに面白かった。

パリってすごいなぁ…と思ってしまう今日この頃。

フランスは寒くなってきました。日本はどうだろうか。皆様、体に気を付けて―。それでは。
フランスでの寮。
寮につきました。
国際大学都市、Cite Internationale Universitaireってとこです。シテ・ユニヴェルシテ。

外観は一見きれいだが、とても…古い…です。

入ったのはオランダ館。オランダ館本部(受付)で鍵とか、ネットのつなぎ方の説明書とかもらいました。

部屋は…こんな。

少しもてあますような広さ。途方に暮れる…。

広いことはいいことですが。ね。せまいとぐったりしてくるともさ。
さて。昨日、一昨日とパリ3へ行ってきました。登録などが煩雑すぎる…。

大学前の小さなスペースに停まったバスが印象的。

あまり大学に見えない大学です。近代的な建物風…?

近くにあるスタバでパンケーキ食べました。美味。
あ。寮の話というか、学校の話というか。
ひとまず割と住み心地、居心地は良いと思います。
ではー。
国際大学都市、Cite Internationale Universitaireってとこです。シテ・ユニヴェルシテ。

外観は一見きれいだが、とても…古い…です。

入ったのはオランダ館。オランダ館本部(受付)で鍵とか、ネットのつなぎ方の説明書とかもらいました。

部屋は…こんな。

少しもてあますような広さ。途方に暮れる…。

広いことはいいことですが。ね。せまいとぐったりしてくるともさ。
さて。昨日、一昨日とパリ3へ行ってきました。登録などが煩雑すぎる…。

大学前の小さなスペースに停まったバスが印象的。

あまり大学に見えない大学です。近代的な建物風…?

近くにあるスタバでパンケーキ食べました。美味。
あ。寮の話というか、学校の話というか。
ひとまず割と住み心地、居心地は良いと思います。
ではー。
