そもそも碍子引きという配線技術はいったい誰が考え、普及しそして衰退したのでしょうか。
歴史から見れば昭和初期から40年にかけてのほんの一瞬の出来事。
電気が一般家庭に普及してきた時期には、電線は見えてて当たり前、発熱を伴う危険な代物だったのかも知れません。
当時は碍子引きそのものに美的な要素は全く認められず、電気技術の発展に伴い、電線は邪魔者扱いとなり、とうとう天井裏に放り出されて、隠されてしまったのでしょうか。
我々が碍子引きに郷愁を感じるのは嘘だと思うのです。郷愁を感じるほど接してきてはいません。子供の頃の記憶でも無いと思うのです。
作られた記憶とでもいいましょうか、昭和を代表する忘れ去られた技術だからこそ、懐かしいとの言葉で片付けられてしまうのです。
でも懐かしい言葉で片付けられる物ほど、歴史の片隅に追いやられ、その存在は忘れ去られ過去の遺物となっていきます。
碍子引きの構造、レイアウト、デザイン、技術全てにある種の幾何学的な美しさと、機能美を感じなければ、碍子の良さは永遠に理解されないでしょう。
今まさに照明が点いている時、『しっかり電気を流しています私』的な存在感が、電線から感じられる今日この頃。
リビングメイン照明、後藤照明の『マルゴー』3連。碍子引きも3連仕上げ。
天井に映る影も計算されたデザイン。シーリングローゼットは当然菊型。
碍子引きはリビング正面を横切り、梁を伝って斜め上に伸びます。
ノップ碍子とクリート碍子の使い分け。
梁をくぐり、薪ストーブの煙突の断熱も兼ねた碍子管の装飾。
断熱に碍子管を使用し、ノップ碍子で電線を大胆に曲げる電気屋さん苦肉の作品。
下から見上げるとこんな感じ。影は天井付近だけなので、全くうるさくありません。
横から縦に上がって更に梁を斜めに上る電線。
幾何学的かつ機能的な美しさを感じる電気屋さんの作品。