あぁ惚れ惚れする瞬間というのは3ヶ月に1回くらいのペースでやってくるものだ。潮の満ち干きのようにゆっくり時間をかけて浸りたい。その時間にたっぷりと、現実逃避して、放り出して逃げ込んだ。一日の初めに朝の歌を歌うも良し、映画を見るもよし、雑踏の音に耳を傾けても何か発見があるのかもしれない。その時だけは自分を環境の受動体とするのだ。つまり感覚のM化である。いつもはただの壁だと思って見ていた物が、表情に見えたり、逆に高層ビルが湿った壁に見えたり、日々の日常に変化が訪れるのである。それは恒星アルデバランのように変化を続ける。
そしてその時間を通過した後に自分にそれらを適応つまりアダプトし、アプライするかである。
想像していると、今まで親身だった物の意義を改めて考えていった。例えば僕の名前の由来、それは蓮の花から取られているのだが、、まぁそんな自分話はさておき、コロナ禍で闇に行く世を容変させていくためにも、ゆっくりでも、スローモーションでもそうやって今までの生活に変化をつけることが大切であると思う。エンドレスに巡り回るこの世界は僕の物では無いが今日だけは浸ろう。