本文


世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし。又主君の為に命を捨つる人は、すくなきようなれども其の数多し。男子ははじに命をすて、女人は男の為に命をすつ。魚は命を惜しむ故に、池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑにばかされて釣をのむ。鳥は木にすむ。木のひきき事をおじて木の上枝にすむ。しかれどもゑにばかされて網にかかる。人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし


通解


世間の道理においても、重恩に対しては、命を捨てて報いるものであります。 また、主君のために、命を捨てる人は少ないように思われますけれども、その数は意外と多いものです。そして、男は名誉のために命を捨てて、女は男のために命を捨てます。魚は、命を惜しむために、栖としている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいます。しかし、餌に騙されて、釣り針を呑んでしまいます。鳥は、栖としている木が低いことを恐れて、木の上枝に棲んでいます。しかし、餌に騙されて、網にかかってしまいます。人間もまたこれと同じで、世間のつまらないことで生命をうしなうことはあっても、大切な仏法の為に命を捨てることはめったにないのです。したがって仏になる人も、なかなかいないのではないでしょうか。

本文


苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや


通解


苦しいときには苦しいと悟り、楽しいときは楽しいなと喜び、苦しいときも楽しいときも南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。それが自受法楽(仏の境地)ということではないでしょうか。